知的財産の電子化。タブレット端末は紙の質感の夢を見るか?

全ての本を電子化した先にあるもの。本/映画/感想

本棚を処分したい。

きっかけは、ただその想いでした。

 
全ての本を電子化した先にあるもの。
 

本棚から書籍を解放せよ

 
我が家には大きな本棚があります。
 
かつてはそれでは足りずに、棚を増設して使用していましたが、第一次断捨離ブームによりかさばるCDやDVD、読まない本を整理し、今はこの巨大な一台に収まっています。
 
さらにワタシの日記やスクラップブックなどもスキャンきてデータ化し、処分を進めてきたので本と一緒に収まっています。
 
そしてついに、この本棚全てを処分したいと思うようになりました。
 

本や日記、スクラップブックをデータ化する。

 
ワタシは根っからのアナログ人間。
本も日記も、その使い古した紙の質感がとても好きです。
 
今は本当に好きな本を厳選して収納しているので、本棚にある本は大好きな作品しかありません。
 
何度も読み返し、作品と自分の思い出とがリンクするほど読み込んだので、どの本も結構年季が入ってます。
 
このお気に入りのコレクションをどうやって処分するのか?
 
これは物理的な方法よりも、自分との踏ん切り、言わば精神的な闘いとなります。
 
何十年とかけて蒐集したワタシのコレクションたち、これらを全て処分するには想像を絶する勇気が必要になります。
 
だから電子化する
 
データ化し、全てを一箇所にまとめ、いつでもどこでも読み返すこと。
厳密に言うと処分するのではなく、本棚というストレージ(容器)から本(中身)を解放するのです。
 
 そして、今はそれが可能な世の中なのです。
 

 

電子化への道のり。

全ての書籍をデータ化した先にあるもの2
 
厳選し、減らしたとは言えまだまだ相当な量の小説や本が収納されています。
これらの本を「自炊」すると思うと捨てる時とはまた別の勇気が必要になります。
 
気が遠くなる作業が待っていますからね。
 
書籍や雑誌を所有者がデジタルデータ化し、電子書籍をつくること。ファイル交換ソフトにおいて流通していた、著作権侵害を前提としたコミックスのスキャンデータ作成に端を発するアンダーグラウンドな隠語である。「自炊」という呼称の由来としては、自分で材料(書籍)を用意し、調理(データ化)までする作業を炊事作業に擬した説や、音楽CDやソフトウェアのメディアからデータを抜き出す作業を「吸う」とよんでいたため、それに自らがデータをつくること組み合わせて「自吸い」とよびそれが転訛したという説がある。コトバンクより引用。
 
理想はワタシのコレクションした小説たちが既に電子書籍として販売されていれば、何も問題はありません。買い直せばいいので。
 
しかしちょっと調べてみると…そううまくもいかない感じがしました。。
 
またワタシ自作のスクラップブックや日記なんかはやはりスキャンする他ないかと思います。
 
今は「自炊代行サービス」も充実しているようなので、それも視野に入れて検討しようと思います。
 
なのでまず一つ目のポイントは
 
膨大なコレクションをどうやって電子化するのか?
 
を考えることですね。
 
次に必要になるのは、電子化したワタシのコレクションをどう再現し、何で見返すのか?ということです。
 
PC、スマホ、タブレット、電子書籍リーダー
 
今は色んなデバイスがありますし、用途によって使い分けることも可能です。
 
ワタシはiPhone6なのですが、実際試してみるともう少し大きな画面で読みたいと思うのが本音です。
(できないことはないですし、なるべくモノを増やしたくないので最後まで候補には挙げておきますが…)
 
まだデバイスをどうするかまで考えてはいないのですが
電子化したデータの扱い易さ、管理のし易さなども考えていかなければなりません。
 
二つ目のポイントは
 
どのデバイスで再現/読みかえすか?
 
を考えていかないといけませんね。
 
 

 

感触はやがて失われるのか?電子化した先に待ち受けるもの

電子化した先に待つもの

 
恐らくワタシ史上最大の作戦にして断捨離道の最難関となるであろうこの電子化
最近は通勤電車の中で電子書籍をタブレットやリーダーを用いて読書している姿が見られるようになりました。
 
当初は色々と賛否あって、なかなか我々の日常生活に浸透するまでにはいかないような感触でした。しかし時代の、技術の進歩により徐々に我々のライフスタイルも進化していきます。
 
何もその流れに従う必要はないと思います。
自分が大切だと思うことを、大切にしていけば良いのです
 
ワタシは未だに紙の質感、一冊ずつしっかりと手の中に収めて
その作品を楽しみたい。
 
日記はボロボロに擦り切れたページを見返し、この日はこんなことがあったんだと感傷に浸りたい。
 
いきなり全てを処分しようとは考えていません。
やはりもう二度と買えないモノ、日記とかスクラップとかはデータにして見返せる状態にしても
実物は保管しておくつもりです。
 
買い替えがきくもの、まずは小説や雑誌、漫画などですかね。
それだけでもかなりのスペースが確保されますし、それだけの量の作品が手元のデバイスに収まると思うと、少し興奮しますね。
 
成功すれば
全ての知的財産が手元のデバイスにおさまり、巨大な本棚は処分される
 
しかし、失敗すれば
 
虚無感と徒労感に襲われ
再び本棚に知的コレクションを再蒐集していくかもしれない。
人間の知的好奇心は無限大ですから。
 
ただ、
 
今ワタシは
成功しようが失敗しようが
 
指先が紙の質感を忘れることはないだろうなと、自分を信じているところです。
 
 

コメント

  1. […] 知的財産の電子化。タブレット端末は紙の質感の夢を見るか? […]

  2. […] 局計画どまり。   本はだいぶ減ったのですが、やはり本棚ごととなると難易度が高くこの計画は来年に持ち越しです。   知的財産の電子化。タブレット端末は紙の質感の夢を見るか?   […]

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