ミニマリズムとワタシ。

2016-07-12

何も持たずに生まれて

何も持たずに消えてゆく

 ワタシとミニマリズム

ミニマリズムとワタシ。

 
ワタシはかつて、トンデモない蒐集家でした。
CDやDVD、本に雑誌、さらに日記の延長で溜めた日々の切れ端…
 
軽い手術で取り除いた親知らずの歯の破片や新婚旅行の時の飛行機のチケット、高校時代のバスの定期券にベートーベンのオブジェたち。
 
もう10冊以上ある日記帳に大量のスクラップブック。
洋服についてきたブランドタグに予備ボタン。
 
なぜか大量にあるマッチやライターにお菓子のおまけなど。
 
まー言い出せばキリがない。
 
ワタシの空間はよくわからないモノで溢れていたということです。
 
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物量が価値を測るワケではない。

 
子どもが生まれ、家の中が手狭になったこともありますが
 
やはりきっかけは東日本大震災。
 
それまで鳥のように細々と蒐集していたよくわからないモノたちが散らばった震災後の部屋を見て、考え方が変わりました。
 
また尊敬する叔父が50歳の若さで病に倒れ、生き方そのものに対する考え方を一新することに。
大量のモノに囲まれて得る安心感よりも、その瞬間瞬間にどれだけ生を実感出来るのか?というほうにシフトしていきました。
 

本当の意味で失うこととは?

 
ある意味で震災から始まり今日まで、我が家は大きな喪失の中に置かれていたのかもしれません。
 
本当に色々ありました。
 
ワタシの転職も然り、父親の離職からの再就職、二世帯住宅にするかどうかの迷い、妻の実家の愛猫の死去…
 
それでもぶれずに妻とここまでやってきました。
 
その一つの軸のような物として、「断捨離」があったのです。
 
ちょっと大袈裟のようですが、お互いそれまでの人生の棚卸しのような感覚で、モノを処分していくうちに
 
気がつけば2人前を向いていました
 
モノを捨てることで、「無くなること」を恐れていましたが、ワタシは捨てるまでそのモノの存在を忘れていたのです。
 
つまり既に失っていたのです。
 
ワタシは断捨離活動によって、そのことを学びました。
 
ミニマリズムとワタシ

ワタシとミニマリズム。

 
最近特にミニマリストという言葉を良く耳にします。単純に自分に興味のある言葉だからかもしれませんが。
 
ミニマリストたちは極限までモノを持たず、日常生活をシンプルに研ぎ澄まして生きています。
 
ワタシは家族と一緒に暮らしているので、そこまでの領域に達することはありませんし、目指すこともないでしょう。(たまに無性に憧れますが…)
 
ワタシはただ、好きなモノだけに囲まれている状況を作りたいんです。
その為に無駄なモノ、不要なモノをせっせと処分しています。
 
愛用のモノだけに囲まれて、心地よい暮らしを送る。
 
なんか毎日が充実するような気がします。
 
大人になってから人生に対しての考え方を改めるほど、インパクトのある事件や事故が続きました。(当然、被災された方々、被災地の方々に比べたらワタシは全然ダメージの深刻さは異なりますが)
 
ある日突然、何が起こるかわからない。
 
だから
毎日を充実させ、納得する生き方をしようと思いました
 
それが、ワタシがミニマリズムに対して抱いた決意のようなものです。