吉村萬壱『回遊人』をレビュー。タイムリープしても人生はやり直せない。救いのなさがたまらない一冊

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「もし人生をやり直せるとしたら、あなたは何を変えますか?」

小説や映画では、昔から繰り返し描かれてきたテーマです。

「あのとき別の選択をしていれば」

「もっと違う人生を選んでいたら」

誰でも一度くらい、そんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。

吉村萬壱の『回遊人』は、そんな「人生をやり直す」物語です。

主人公は44歳の作家・江川浩一。妻と息子との家庭生活に行き詰まり、家を飛び出した彼は、奇妙な白い錠剤を飲んだことをきっかけに、10年前へとタイムリープします。そこは妻・淑子と結婚する前の世界でした。

ここだけ聞けば、よくあるタイムリープ小説に思えるかもしれません。

しかし、もちろん吉村萬壱です。

人生をやり直せるという夢のような設定から始まるのに、読んでいるうちにどんどん気分が重くなっていく。

そして最後には、

「人生をやり直すことに、本当に意味なんてあるのだろうか」

という、かなり残酷な問いを突きつけられます。

今回は、そんな吉村萬壱『回遊人』を読んだ感想を、作品の魅力とともに考察してみます。

※この記事には作品の内容に触れる部分があります。未読の方はご注意ください。

吉村萬壱『回遊人』とは?44歳の作家が10年前にタイムリープする物語

『回遊人』の主人公・江川浩一は44歳の作家です。

専業作家として生活しているものの、思うように小説が書けない。

妻との関係も、息子との関係も、決してうまくいっているとは言えません。

そんな生活から逃げるように家を出た浩一は、宿泊先で謎の錠剤を飲みます。

そして目を覚ますと、10年前。

まだ妻と結婚する前の自分に戻っている。

つまり、

人生をもう一度選び直せる。

そんな夢のようなチャンスを手に入れてしまうわけです。

普通のタイムリープ作品なら、ここから「今度こそ理想の人生を手に入れる」という展開を期待するところでしょう。

しかし『回遊人』は、そんな甘い話ではありません。

『回遊人』の面白さ「人生をやり直せる」が、まったく幸せではない

この作品を読んでいて面白いのは、タイムリープという設定が、夢や希望ではなく人間の欲望を増幅させる装置として使われていることです。

過去に戻れば、違う女性を選べる。

違う仕事を選べる。

違う人生を歩める。

では、それで幸せになれるのか。

浩一は人生をやり直します。

しかし、一度選択を変えたら終わりではありません。

「こちらを選んだら、あちらの人生はどうだったのだろう」

という新しい欲望が生まれる。

そして、その選択の先で思い通りにならなければ、また別の可能性を求めてしまう。

これって、考えてみれば非常に人間らしいことです。

今の人生に満足できないから、別の人生を夢見る。

でも、別の人生を手に入れたら、今度はそこに不満を見つける。

つまり問題は「どの人生を選ぶか」ではなく、どんな人生を選んでも不満を見つけてしまう自分自身なのかもしれません。

『回遊人』考察 人生をやり直しても「自分」からは逃げられない

『回遊人』を読んでいて、私が最も感じたのはここでした。

過去に戻れば環境は変えられる。

出会う人間も変えられる。

仕事も変えられる。

選択肢だって増える。

それでも、自分自身だけは連れていかなければならない。

これはタイムリープというSF的な設定を使いながら、ものすごく現実的な話だと思います。

「あの会社に入らなければよかった」

「あの人と結婚しなければよかった」

「あのとき、もっと違う選択をしていればよかった」

40代にもなると、人生の中でいくつもの分岐点を経験しています。

そして、ときどき思います。

「あのとき別の道を選んでいたら、今の自分はどうなっていただろう」

でも、もし本当に過去に戻れたとしても、そこにいるのは結局「今の自分」です。

考え方も。

欲望も。

弱さも。

ずるさも。

それらを全部抱えたまま、もう一度人生を始めることになる。

そう考えると、『回遊人』のタイムリープは「人生をやり直すチャンス」ではなく、自分自身から逃げられないことを確認するための旅にも見えてきます。

吉村萬壱らしい「救いのなさ」がクセになる

吉村萬壱の作品を読んでいると、きれいな答えを期待すること自体が間違いなのかもしれないと思わされます。

『回遊人』も同じです。

タイムリープという設定だけを見れば、もっと希望に満ちた物語にもできたはずです。

ところが、人生を繰り返すほど事態は簡単には好転しません。

むしろ何度もやり直すことで、登場人物たちの疲弊や絶望が積み重なっていきます。

この「救いのなさ」が、いかにも吉村萬壱らしい。

読者に、

「ここまでやったんだから、そろそろ幸せにしてあげてよ」

と思わせておいて、簡単にはそうしてくれない。

むしろ、その期待そのものを裏切ってくる。

でも、不思議なことに、それが嫌ではありません。

むしろ、

「そうだよな。吉村萬壱がそんな簡単なハッピーエンドを書くわけないよな」

と納得してしまう。

この感覚こそ、吉村萬壱作品の魅力なのだと思います。

『回遊人』は「人生のリセットボタン」を否定する小説なのか

人生にリセットボタンがあったら。

そんな願望を、一度も抱いたことがない人は少ないでしょう。

しかし、本作を読んでいると、そのリセットボタンが必ずしも幸福をもたらすとは限らないことに気づかされます。

なぜなら、人生の失敗を消すことと、失敗しない人間になることは別だからです。

過去を変えても、自分が変わらなければ、また別の場所で同じような問題にぶつかる。

むしろ選択肢が増えれば増えるほど、

「もっと良い人生があったのではないか」

という迷いも増えてしまう。

現代は、昔よりも人生の選択肢が多い時代です。

仕事も。

住む場所も。

結婚も。

趣味も。

人間関係も。

SNSを見れば、他人の「自分とは違う人生」がいくらでも見えてしまいます。

その結果、

「自分の選択は本当に正しかったのか」

と考えてしまう。

そう考えると、『回遊人』はタイムリープ小説でありながら、現代人の生きづらさを描いた小説にも見えてきます。

『回遊人』のタイトル「回遊人」が意味するもの

タイトルの「回遊人」という言葉も印象的です。

回遊する。

同じ場所をぐるぐると巡る。

それは、作中で繰り返される人生そのもののようにも思えます。

過去へ戻る。

別の人生を選ぶ。

そして、また別の場所へ進む。

しかし、どこまで行っても完全な答えには辿り着けない。

まるで水槽の中を泳ぎ続ける魚のように、動き続けているのに、どこか同じ場所を回っている。

「前に進んでいるつもりなのに、実は同じところを回っている」

そんな人生の皮肉が、このタイトルには込められているように感じました。

『回遊人』はタイムリープ小説が好きな人におすすめ?

もちろんおすすめです。

ただし、

「過去に戻って人生をやり直す爽快なSF」

を期待すると、かなり違います。

むしろ、

● タイムリープものが好き

● 人間の欲望を描いた小説が好き

● ブラックユーモアのある作品が好き

● きれいなハッピーエンドより苦い物語が好き

● 吉村萬壱の作品を読んでみたい

● 人間の嫌な部分まで描く小説が読みたい

という方におすすめしたい作品です。

そして、吉村萬壱作品を初めて読む人にとっても、「この作家が描く人間の業とはこういうものなのか」と感じられる一冊だと思います。

『回遊人』は「人生をやり直せても、人生からは逃げられない」物語

『回遊人』はタイムリープ小説です。

しかし、時間旅行そのものを楽しむ小説ではありません。

過去に戻る。

人生を選び直す。

それでも、思い通りにはならない。

そしてまた別の人生を選ぶ。

その繰り返しの中で浮かび上がってくるのは、人間の欲望や弱さ、そして「もっと良い人生があるはずだ」と願い続けることの虚しさです。

人生をやり直せるなら、きっと幸せになれる。

そんな私たちの思い込みを、吉村萬壱は容赦なく壊していきます。

でも、それがいい。

もし最後に都合のいい奇跡が起きて、すべてが丸く収まっていたら、ここまで心に残る作品にはならなかったでしょう。

『回遊人』の救いのなさは、単なる絶望ではありません。

「今ある人生をどう生きるのか」という問いを、過去に戻るという究極の設定によって突きつけてくる。

だから読み終わったあと、過去ではなく、少しだけ現在の自分を見たくなる。

「あのとき違う選択をしていたら」と考えることはあっても、実際には過去へ戻ることはできません。

だったら、今いる場所で生きていくしかない。

そんな当たり前のことを、『回遊人』は決して優しくではなく、かなり意地悪な方法で教えてくれる小説でした。

吉村萬壱らしい、救いのない一冊。

でも、その救いのなさが妙にクセになる。

そんな作品です。

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