村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで。
1995年3月20日 明日は祝日なので連休の谷間にあたる月曜日の朝。
それは誰にとっても当たり前の月曜日の朝であり、幾度となく繰り返され
そして埋没していく類の月曜日になるはずでした。
当時ワタシは中学一年生。終業式だったかとにかく早く帰宅し、テレビを付けたら大変なことになっていました。しかし、まだまだ世界の狭い中学生のワタシにとっては、日比谷線も丸ノ内線、霞が関と聞いてもボンヤリとしており、現実感のないままそのニュースをずっと眺めていたことを覚えてオリマス。
『アンダーグラウンド』村上春樹を読んで。
世界で一番安全な国・日本。
最近では目を背けたくなるような凶悪犯罪や少年犯罪、猟奇的な事件が表沙汰になっていますが、それでも無差別テロが頻発しないだけ、まだまだ安全な国であるのかもしれません。
そんな日本で、無差別テロが発生したという事実を最近ワタシは忘れかけていました。
先日体調を崩してしまい、一日中寝込んでいるときに暇潰しにと本棚から偶然取り出した一冊の本を読むまでは…
この本はあの地下鉄サリン事件の被害者たちに実際に村上春樹自身がインタビューをし、その発言を文章にし一冊にまとめたものになります。
あの日あの場所で何が起こったのか?
理不尽な暴力によってグチャグチャにされた日常。
例えば、朝「行ってきます。」と家を出て「ただいま」と言って再び家に入ることが特別なことだとは思わないですよね。
それが日常生活のサイクルであり、基本的にはそのサイクルによってワタシたちの生活は続いていく。
ワタシは昔から変な想像をすることが多くて、ひょっとしたら今日は無事に帰ってこれないかもしれないな、なんて思うことが良くあります。
そんなことを妻に話すとあまり真剣に取り合ってくれませんが、実際あの東日本大震災の朝だって、いつも通りに帰宅していつものような週末を迎えるはずでした。
しかし実際に想像もしていないようなことは平気で起きるのです。
この作品は、日本国内に多大な衝撃を与えた「地下鉄サリン事件」に不幸にも遭遇し、体験し、被害に合われた方々の声を村上春樹氏が文章化したものになります。
一人ひとりに当時の状況やその人となりの背景に触れながら、事件当日に何が起こったのかを浮き上がらせていきます。
様々な証言がたくさんの点となり、そしてそれらが結ばれていく。
そこには生々しい恐怖と、「日常生活」とが隣り合わせに共存した不思議な空間だったようです。
そして被害に合われて、ふらふらなのに皆会社に行かなくちゃという行動を選んでいたという証言の多さにも驚きました。
日常生活は一瞬で壊れてしまう可能性があるということ。
ワタシはこの事件の背景にオウム心理教という宗教団体がいることや、実行犯たちのことにはあまり興味が湧きません。
普段だとそういうことには敏感で、先日も平山夢明氏の『異常快楽殺人』という海外でもズバ抜けて異常な殺人鬼たちの姿に迫る本を読んでいました。。話がそれましたね、でも今回は犯人たちの姿にまるで興味が湧きませんでした。
おそらくは、被害に合われた方々の声に重点を置いて村上春樹氏が文体化したことで、理不尽に破壊されてしまった「日常」の重さにワタシは打ちひしがれてしまったのかもしれません。
そしてたくさんの証言から見えてくる事件の異様さ。
この異様さは恐らく通勤時間という日常空間の中に突如現れた異空間とが一緒に存在した瞬間からくるものでしょう。
幾つかの証言の中で、これが事故ならばまだ納得がいくとか、そう仰っている方がいました。
自分や自分の家族がこんな目に遭ってしまった時、ワタシはきっと納得も理解もできないと思います。
この作品、かなり密度濃いです。
「生きる」というシンプルだけど普段、根源的過ぎて改めて考えることのないことを真剣に見つめ直すきっかけとなりました。
自分は事件や事故に巻き込まれることはないだろうと、恐らく大半の人はそう自考えているのではないでしょうか。
昔何かの本で読みましたが、人は自分だけは死なないと心のどこかで思っていると。
実際この事件に遭遇した人たちの証言からも、そこに危機感を抱いて行動をしている人の少なさに、色々な意味で恐怖を覚えました。
自分だったら?
自分がその場に居合わせたら?
きっとワタシも何か変だなという違和感には気がつくかもしれませんが、まさか自分が死ぬかもなんて思うことなく本でも読み続けてしまうんじゃないでしょうか。
自分がまさか死ぬなんて思ってもいないまま死んでしまうことだってあるのです。
夏風邪がお腹にきて、それが家族にも感染し、夏の終わりから今日までぐずぐずの我が家です。
体調が悪くて横になっていて、それでも自分は死ぬかもなんて考えていません。
こんな体調の時に随分ハードな一冊を読んでしまいましたが、逆にこういう状態だったからこそ、深く考えるきっかけとなりました。
なにげない毎日が続いていく、それだけでも奇跡のような
そんな儚くも脆い世界の上で、ワタシたちは暮らしているのかもしれません。
ちゃんと味わおう。