『パンドラ ザ・イエロー・モンキー』これは日本ロック史の貴重な資料だ。
ファンでなくともロック好きな人は一度観たほうが良い
ロックは夢や希望だけじゃないってことを知る上で貴重な資料となることでしょう。
ザ・イエローモンキー。
今年奇跡の再結成をし、ツアーは好調、メディアなどへの露出も多く若手ロックバンドたちを蹴散らす勢いで活躍中の彼ら。もうすぐメカラウロコですね。
ワタシの妻さんは当時から大ファンで中学生の頃からライブに行っていたようです。
そんな妻さんの影響もあり結婚してからワタシもすっかり好きになり、去年は吉井和哉のツアー初日と最終日に夫婦で行くことができました。
過去記事
吉井和哉 STARLIGHT TOUR2015初日を満喫してきました。
吉井和哉 STARLIGHT TOUR2015最終日を満喫してきました。
今年の再結成ニュースに新曲発表。
当時と変わらないルックスにより渋みを増した表現をするイエローモンキー。
華やかな話題が多かったことでファンはもちろん歓喜していると思います。
妻さんも大喜びかと思いきや深刻な顔してDVDを観ています。ワタシも興味本位で隣に座ったのですがこれがあの、あまりに過酷過ぎるツアー「パンチドランカー」のドキュメンタリーだったのです。
そう、そこにはロックに魅せられた人間たちがロックに飲み込まれてしまう様を生々しく記録されていたのです。
全ロック好きに告ぐ。ファンでなくとも一度は観たほうが良い『パンドラ ザ・イエロー・モンキー』
ザ・イエローモンキーというと熱狂的なファンが多いというイメージがあります。(特に我が家には妻さんがファンですしね)
だからこのツアードキュメンタリーもファン向けの極めて限定的な記録・映像なのかと思っていました。
話はちょっと逸れますがワタシはこの手のドキュメンタリーが大好きで良く観ます。
アーティストの素の表情がみれたり、表現していない時の表現者、を怖いもの見たさで見てしまうような感覚が好きで。
特にそれが自分の好きなアーティストだと余計嬉しいですしね、作るほうもそれを分かっているのか心踊る魅せ方でまとめてきます。
さて、今回もそういうファンが喜ぶような所謂「美味しい」映像が続くのかと思っていました。
しかし、ちょっと見ただけで動けなくなりました。
これはそういうファンのためのモノでもなく、ただただロックに挑み、苦しむアーティストとそれを支えるたくさんの人間の苦悩が詰まった生々しい鎮魂歌のようなフィルムだったのです。
「このツアーは失敗でした」
このドキュメンタリーは過去のツアーの記録と、2013年にメンバーやクルー、当時の関係者たちが回顧するシーンが重なりあって構成されています。
パンチドランカーというツアーがいかに桁外れで、事件であったかが、当時を振り返るインタビュー映像を通じてひしひしと伝わってきます。
そもそもワタシを始めイエローモンキーファンでない方にとって、この「パンチドランカー」というツアーそのものが良く分かっていないかと思います。
当時ツアーに行っていた妻さんに話を聞きながら調べていこうと思います。
パンチドランカーツアー
1998/04/03 (金) ~ 1999/03/10 (水)
それは年間113本という驚異的な回数を演奏するツアーです。
詳しいセットリストはこのサイトが便利です。
The Yellow Monkey PUNCH DRUNKARD TOUR Live Fans
余談ですが、妻さんはなんと当時中学生でありながらこのツアー2本を見に行ったようです。
まずこの情報を見ただけでもすぐ分かるのが
休み、ないじゃん
ということ。
年間にこなす回数としては異常です。
移動日やセッティングにリハがあるワケですからこれはどう考えても無茶。
かつてワタシも学生の頃バンド活動をしておりましたが月に3回だってヘロヘロですよ。(超アマチュアと比較して申し訳ありません)
この映像にはツアーの企画者、責任者として当時の社長も登場しパンチドランカーツアーにおいてイエローモンキーの経済効果は100億円!だったというエピソードを交え笑ってましたが‥ほんと桁外れです。。
ツアースタート直後の彼らには緊張感と共にどこか余裕すら見えていたのですが、これが数をこなしていくごとに次第に疲労し、満身創痍になっていくのです。
そもそもの発端はフジロック。
ワタシも初めて知ったのですが今じゃもうメジャーな野外フェスとして認知されていますこのフジロック第一回に参加していたのです。
が
それは当時鼻高々だった彼らの勢いを揺るがすような体験になるのでした。
フジロックの悪夢とまで言われ語り継がれているこの出来事。そもそもこの第一回フジロックというのは悪天候や主催者側の杜撰な運営なんかが話題となり、フェスとして成功したとはいい難いものでした。
そのイベントでイエローモンキーたちは海外のゴリゴリなロックバンドたちに囲まれたタイムテーブルとヒット曲を控えたセットリスト、さらに悪天候により観客の反応は酷いものでした。
色っぽいイギリスUKグラムロックを体現していたバンドが筋肉モリモリのゴリゴリミクスチャーUSロックたちに挟まれ、どう考えてもアウェーな状況。(フー・ファイターズ、レイジアゲインスト、そしてイエローモンキーで次がレッチリという流れ)
まさに悪夢‥
当時UKロックに傾倒しながらヒット曲を連発させ、彼らの音楽性は一つの円熟期を迎えたはずが、フジロックでゴリゴリのUS音楽に挟まれ根本的な音圧の差によってかき消されてしまった悪夢。
ここに綴られているように相当なアウェーだったようです。。
こればかりはフェスという枠の中ではどうしようもないことだとは思うのですが、この体験が余程強烈だったようで、この悪夢を忘れようと始まったのが今回の映画の題材となるパンチドランカーツアーだったのです。
ロックに取り憑かれた者たち
日本人のロック感というのは案外不安定なものです。
それは元々の文化、歴史が異なるので当然のことなのですが、それを敢えて欧米諸国と同じようにやろうとし、なんとか取り入れ進化させてきたのです。
ワタシたちはそれを強要とは思わないでどんどん取り入れていき、次第には独自のカルチャーとして昇華させたりします。
これは食文化にも似ていますね。
思想も違えばフィジカルも違う海の向こうからやってきたロック。ずっと憧れの対象だった本物のロック。
本場のロック。
この衝撃を目の前で体験し、後にイエローモンキーの解散の要因となるほど深く爪痕を残すのでした。
フジロック演奏直後の憔悴しきった吉井和哉
苦笑いを浮かべたエマに気を紛らわせようと煙草を勢い良く吸うヒーセ…
ライブ直後とは思えない異様な雰囲気が映像で残されています。
この衝撃が彼らをパンチドランカーツアーへと駆り立て、そして自身たちを滅ぼすことになるのでした。
しかし、もうすっかりファンなので贔屓目に見てですが…
フジロックの映像はヤバいくらいカッコいい。鳥肌総立ちでした。あのデイブクロールが
「なんだ、あのジミー・ペイジみたいな奴は⁈」と舞台袖で語ったという逸話は有名ですが、とにかくこの演奏シーンは最高です。
当時の映像なのでちょっと荒れてて、音もあまり良くないけど、それがまたカッコイイ。ほんと
ツェッペリンがいるかのようでした。
そこにはしっかりとイエローモンキーという凄い空間が広がっていました。
イエローモンキーが暴いた日本ロックの沸点。
このパンチドランカーツアーは長年タブー視されてきたようですね。
フジロックの挫折、クルーの事故死、何より過密なスケジュールにより心も身体もボロボロになり果て、ついに放った「失敗発言」
満身創痍になった彼らはツアー終了後にシングルを発表。活動休止、そして解散へと続いていきます。
今回の映画はイエローモンキーというバンドがファンのために向けたロードムービーで終わらない理由が、この経緯に裏付けられた後の彼らの姿を我々は知っているからでしょう。
ただカッコいい
女の子にモテたい
というバンドが真剣にロックに挑み、自分たちの限界とぶつかり、壊れていく様が剥き出しになっているからでしょう。
日本には日本のロックがある
イギリスでのライブ、過酷な演奏ツアー、エンジニアに本場の人を加えても結局イエローモンキーはイエローモンキーというバンドであり続けました。
極端に曲調を変えることなく、音圧を増すこともなく。あくまで自分たちの世界観を貫き通しました。
ワタシは今回の作品を観てますますイエローモンキーが好きになりました。
これは日本人バンドがロックと戦った壮絶な記録です。
ただ背の高いイケメンたちのバンドだと思っていたワタシは深く反省しました。
こういう挑戦をしたからこそ今もなお現役で演れるのであり、経験に裏付けられた音楽性は今後も新しい人たちに影響を与えていくのです。
演奏技術や音圧の差じゃないんです。
自らの信じた音楽を、ロックを追求することなんです。
9mm、Alexandros、イエローモンキーのフォロワー達は着実に日本のロックを築き始めています。
イエローモンキーは、日本人が抱いていた本場のロックに対するコンプレックスを見事に自分たちが身をもって打ち砕いたのではないかと思います。ちょっと言い過ぎか?
その代償は解散という決して少なくないダメージではありましたが、今また復活を遂げた彼らに怖いものはもうないだろう。
そう思うのです。
年末のメカラウロコ、妻さんはどうやら行くようです。
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