映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』レビュー 分断の時代に問われる選択
トランプ大統領の来日を新しい首相が出迎えたニュースで
TVや報道では大いに盛り上がっておりますが
このニュースを観て感じるのは
かつてないほど我々は問われているんだなということ。
人類史上、最大にして最速に情報を入手できることができるようになった「一般市民」は、これまでのように盲目的に何かを信じて生きていくことは難しくなってしまったのです。
どう生きていくのか?
何を信じるのか?
我々は問われているのです。
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映画『シビル・ウォー』が投げつけた問いかけに何を見出すべきなのか?
現在、世界のあちこちで「分断」が叫ばれています。
政治、経済、地域、人種、価値観。
そんな中、映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、アメリカが舞台ではあるものの、私たち日本の40代にも、深い問いかけを投げかけます。
果たして「どの種類のアメリカ人か?」という問いは、我々自身に「どの種類の社会人か?」「どの種類の日本人か?」と問い返してくるのです。
映画の基本データ
- 監督・脚本:アレックス・ガーランド(『エクス・マキナ』など)
- 出演:キルステン・ダンスト(リー・スミス)、ワグネル・モウラ(ジョエル)、ケイリー・スピーニー(ジェシー・カレン)ほか。
- 公開・配給:A24/ハピネット ファントム・スタジオ(日本)【出典:公式紹介ページ】
- イントロダクションより:「連邦政府から19の州が離脱」「内戦状態となったアメリカを舞台に、4人のジャーナリストたちが真実を追う」などのストーリー。
あらすじ
「お前は、どの種類のアメリカ人だ?」
離脱した19の州と連邦政府の間で激烈な武力衝突が起きているアメリカ。
テキサスとカリフォルニアを軸にした“西部勢力”と、政府軍との内戦が拡がる中、4人のジャーナリストがホワイトハウスへの潜入取材を企てる。
しかし、戦場と化した旅路の中で彼らは“国家”という言葉の真意と、“自分の信じるもの”の脆さを思い知る。
テーマ考察 分断する社会と「選んだ側」の責任
40代の私たちは、「バブル崩壊」「リーマンショック」「令和の変革期」など、社会の変化を複数経験してきました。
「上か下か」「勝つか負けるか」「信じるか疑うか」では語り尽くせない“分断の様相”を、シビルウォーは映像化しています。
本作が問いかけるのは、
「どこに立つか」ではなく、「それでも動くか」というその決断です。
ジャーナリストたちの旅は、単なる“取材”ではなく、自分の立ち位置を見定める“選択”でもあります。
我々40代は、仕事・家庭・地域・グローバル…多重の役割を背負っています。
どれを捨て、どれを守るか。
“国家”という大きな枠組みが崩れつつある今、私たちの生き方もまた問い直されているのです。
映像・演出の魅力――戦場よりも“人の距離”にこそ注目
アレックス・ガーランド監督は、その作風において派手な銃撃戦やスペクタクルを前面に出しません。
むしろ“無音で走る列車”“静かな待機”“顔に映る恐れ”など、余白の演出で観客の感覚を研ぎ澄ませます。
本作でも、内戦の激しさを背景にしながら、焦点は「取材対象」と「記者たち」の関係性にかかっています。
カメラは近く、画面は沈んで、観客は“どこかで似た状況”に自分を置くことになります。
この静けさが、“現実”としての分断と衝突を、私たちに突きつけてくるのです。
40代だからこそ刺さる“分断と回復”
40代になると、組織の中で“どちら側か”を選ばなければならない場面が増えます。
取引先、上司、家族、地域コミュニティ。
その選択の先に、「取り残される怖さ」「味方を失う痛み」があることを知っています。
この映画のジャーナリストたちは、誰とも手を組まず、自分の道を模索します。
私たちもまた、誰かを支持し、何かを守るために動いている。
それでも、内戦のような“分断”が近づくとき、
「正義とは何か」「守るべきものとは何か」を問い直さざるを得ません。
この作品を観た後、私は自分にこう問いました。
「あなたが守るのは、誰の声ですか?」
その答えが、今の生き方を左右するのかもしれません。
“分断”のシナリオはいつの間にか“日常”へ
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、アメリカの架空の内戦を描いた作品ですが、その核心は日本の我々にも通じています。
勝者・敗者、仲間・敵、旧支配者・新勢力――その境界が揺らぐ時代に、私たちはどこに立つのか。
この映画は静かに、しかし確実に問いかけます。
「あなたは、どの種類の人間ですか?」と。
そして、それに向き合う勇気を。









