ミニマリズムの追求とその先にある自由。
もっと身軽になるために。
ワタシは毎日たくさんのモノに囲まれて暮らしています。
それは目に見えるモノ、触れるモノとは限りません。
人間関係や日々の業務、将来に対する不安やたくさんの思い出たち
もっともっと身軽になってみたら、どうなるんだろう?
ミニマリズムの追求とその先にある自由。
PR
我が家は現在絶賛家作り計画中です。
少ない予算で四苦八苦
ローンに怯えながらも夫婦であーしようこーしようと話し合っている時間は楽しいもんです。
このまま順調にいけば年内には理想の家に引っ越すことになります。新生活の幕開けです。
さて、そうなると今の持ち物をもっと減らしたいという欲求が出てきます。
現在ワタシが取り組んでいる作業としては
思い出関係、写真や日記はスキャンしてデータ化。
使わないモノはどんどん断捨離。
これでちょっとずつですが家の中からワタシの荷物を減らしています。
しかし最近は物質としてのモノを減らすだけでは物足りないような気がしています。
ミニマリズムとは断捨離することではないからです。
そもそもイズムとは行為そのものよりも、そこの根底にある「思想」のようなことです。
つまりは断捨離して満足しているうちはまだミニマリズムとは呼べないと思うのです。
思想、思考、主義としてのミニマリズム
ということでさっそくミニマリズムを自分の中で定義付けてみました。
あくまで個人用のコンセプトみたいなもんですが
「もっと身軽になる」
ん…?
こんな簡単で良いのかな?
でもワタシにとってミニマリズムとはこういうこと。
持ち物も不安も不満も思い出も、とにかく減らして身軽になろうと。
でも大切なモノは一生持ち続ける、
こういうバランス感覚で追求していこうと思います。
身軽になって、手ぶらになれば
いつでも大切なモノに手を伸ばすことができますからね。
新品価格 |