Facebookをやめた理由を語ろうと思う。

ライフスタイル

はっきりと申し上げますと

友達がいないんです。

現実世界において友達がいないので、Facebookに友達がいないのは当然です。だから当たり前ですが「いいね」も貰えないし貰えたとしても「いいね」くらいなもんです。

なんかFacebookによって交流関係が広がったとか、疎遠だった仲間たちとの絆が再び繋がりだしたとか、、こんなにたくさん友達がいます、こんなにたくさんの「いいね」をし合います。

とか。

ワタシにはそういうのが出来ないんです。現実にもオンライン上にも友達が少ないから‥‥

じゃあそれが不幸かと聞かれたらこう答えます。

否。

とても幸せです、と。

Facebookをやめた理由。

先ほども言いましたが、、もう何年も前の話しです。
「Facebookってのを始めると昔の友達と再会できたり、友達がどんどん増えてくらしいよ」
って具合に、SNSが出始めの頃はこんな感覚でして、興味本位で登録してやってみるワケですよ。

ところがどっこい。

全然増えない

どんどんヒートアップしていく世間から切り離され、まさかFacebookというオンライン世界においても孤立するとは思ってもみませんでした。

一応アカウントは持ったしとりあえず様子を見ることにしたのですが、一向に友達は増えない。

しかしなんと言いますか、微妙な知り合いとか、仕事上の付き合いの人とかは徐々に増えていきました。

本当に仲の良かった友達たちは現れることなく…

そしてちょっとした付き合いのある人たちの切り取られた日常やお気に入りの風景が届けられるようになります。

一応仕事上の付き合いもあるし「いいね」をしておくワタシ。

まさかFacebookというオンライン世界においても愛想を振りまくことになるとは……

そしてワタシもワタシで、普段の生活の中でも特に人に見せたい部分だけを切り取り公開し、そして「いいね」をもらいます。

きっとFacebookをもっと素直に利用している人たちはたくさんいるんだろうし、有効に活用している人もいることでしょう。

しかしワタシには全てが曖昧で愛想だらけの馴れ合いのように思えてしまったのです。(きっと単純に友達が少ないから楽しめなかっただけなのでしょうが)

見栄を愛想で褒め合う世界のように思えてしまったのです。

とくにそこに個人として主張したいことはなかったのでFacebookはやめることにしたのです。

逆に思いっきりカッコつけれたり、表現手段として発信するツールとしてInstagramとツイッターは残しています。

友達がいないことは不幸ではないということ。

結局ワタシには友達がいないという話でしたが、冒頭でそれでも幸せだと答えました。

自信を持って伝えることができます。

友達がいないからといって不幸ではないし、ワタシのようにそこに幸せを感じることすらできるのです。何かを感じたり、考えたりすることは他人といないほうが敏感になれたりします。何かを創る時はなおさら孤独になる必要があります。

独り遊び万歳

映画だって読書だって独りで受け止めるもんです。

お酒だって独りでも楽しめるし、なんだったら独りでカラオケだって、焼肉だって、動物園だっっ‥‥‥‥‥

場所は選ぶかもしれませんが、友達がいなくたってちゃんと大人になれるから大丈夫です。そしてちゃんと幸せを感じることができるから大丈夫です。

ワタシはラッキーなことに人生の伴侶と出会うことが出来たので、友達がいなくても家族で過ごせるので幸せです。

 

なんか最後はちょっと投げやりな感じもありましたが‥‥とりあえずFacebookをやめてみて余計なストレスもなくなり、iPhoneの電池持ちも良くなり(個人の感想です)困ったことどころか、かなり快適な感じすらしてきました。

ひょっとしたら人間関係もこうやって定期的に断捨離していく必要があるのかもしれませんね。

ただ、もとから友達がいないワタシがFacebookをやめた理由と語るよりも

何故友達がいないのにFacebookをやろうと思ったのか?その理由のほうが読み応えありそう。

 


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