『神は銃弾(God Is a Bullet)』考察 救われないヒロインと倫理が崩壊する瞬間

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『神は銃弾(God Is a Bullet)』 を観ました。

当たり前のように世界は平和で、正義があるって思っているけれど、そんなものは幻想で、実際は平和も正義も消えた世界ってものがあって、我々はそれを知ってどこまで“線を越えて”いいのか戸惑うのです。

156分の映画『神は銃弾(God Is a Bullet)』は、  

圧倒的な暴力と、誰も救われない世界を描いた作品です。

この映画を観たあと、「正義とは何か?」  

という言葉だけが、ぼんやりと頭の裏側に残ります。

本作は、ただの復讐劇ではなく

「善悪の境界線が曖昧になった世界で、人はどこまで許されるのか」  

という問いを、観客自身に突きつける映画です。

『神は銃弾』考察|正義が消えた世界で、観客はどこまで線を越えられるのか

作品情報

原題:God Is a Bullet  

製作年:2023年  

上映時間:156分  

レイティング:R15+  

劇場公開日:2024年12月27日

ヒロインの存在。救いを求めているのか、それとも暴力そのものか?

この映画のヒロインは、  

世界から救いを見出すタイプの人物ではありません。

彼女は被害者であり、  

同時に世界に復讐を求める存在でもあります。

復讐心は暴力へと直結し、  

暴力はさらなる暴力を生むだけで終わります。

ここに、  

主人公が何を選べばいいかわからなくなる構造があるのです。

この映画『神は銃弾』は、  

観客に答えを与えない映画です。

善悪の判断  

警察の正義  

法と復讐の違い  

生きる意味

これらの問いが、明確な答えなしに積み重なっていきます。

観客は、画面の向こうで起きている暴力を  

ただの“出来事”としてではなく、  

自分の倫理として咀嚼するしかありません。

ぶっ壊れたヒロイン『ドラゴン・タトゥーの女』との共鳴

同じように、ヒロインの倫理観が揺れ続ける作品として、  

『ドラゴン・タトゥーの女』が思い起こされます。

リスベット・サランデルもまた、  

救済と暴力の境界線を曖昧にする存在でした。

関連記事:  映画『ドラゴン・タトゥーの女』考察|正義を選べないヒロインと倫理の揺らぎ

観客はどこで線を引いたのか

この映画が問いかけるのは、単なる暴力の肯定・否定ではありません。

観客自身が、  

どこで線を引いたつもりなのかという問い。

善悪の線は、映画が終わった瞬間に霧散していきます。

まとめ|正義の消えた世界で観客に残るもの

『神は銃弾』は、  

答えのない映画です。

しかしこの“答えのなさ”こそが、  

観客自身の倫理を問う仕掛けになっています。

こんな世界が、実は日常のすぐ近くに潜んでいるのだと

それを知ったとて、自分には何ができるのだろうかと

漠然と考えるしかないんでしょうね。

最後の最後で

少しばかり未来を期待させることで

ドラゴンタトゥーのリスベットよりかは幸せになれるのかな?と。