映画『ジョーカー』について考える。ラストシーンの意味するものとは。【ネタバレ注意】
狂っているのは彼か?
これはその狂った妄想に過ぎないのか?
ワタシたちは何を観せられたのか?
久しぶりに心から衝撃を受けたので遅ればせながら感想を書きます。
映画『ジョーカー』 最大の謎を考察する。
『ヴェネチア国際映画祭』最高賞受賞という快挙を成し遂げる本作。その話題性は当時も凄まじいものがありましたが、これが決して過大評価じゃなかったことをワタシもつい先日体験しました。
とにかくホアキン・フェニックスの怪演が素晴らしい。
これまでジャック・ニコルソンにヒース・レジャーと名演が繰り返されたジョーカーですが、これはそれまでのとは比較にならない。※個人的にはスーサイドに出てくるイケイケ全盛期のマリリン・マンソンを彷彿とさせるジョーカーも好きでしたが。
鑑賞後にあれこれ調べてて知ったんですが監督は『ハングオーバー』シリーズなどのトッド・フィリップス。驚きです。
主役の表情・動きに注目しながらこの狂気の深淵を覗いてみましょう。
あらすじ
孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。Yahoo映画より引用
緊張すると笑いだしてしまうという障害を抱えながらも、コメディアンを目指す心優しい青年アーサー。ひどい目に合いながらも外の世界との関わり方をコメディアンとして売れることを夢想しながら、悲惨な日常となんとかバランスを取りながら母と慎ましく暮らしています。
しかしある事件をきっかけに何かが弾け、彼の夢想は次第に狂気を帯びていきます。
唯一の希望であった自身の出生の秘密もまた、その狂気に追い打ちをかけるのです。
ずっとこの世界に存在していないと感じていた自分が、ついに世間に認められることになったのです。
暴力を用いて。
普通に鑑賞して衝撃を受けて数日…
あれは一体何だったのだろう?とずっと頭の中でもやもやしておりました。
そこで自分なりにこの作品についてまとめてみることにしたのです。
映画『ジョーカー』ラストシーンの意味するものとは…?《ネタバレ注意》
やはりワタシだけではなく、世のたくさんの視聴者がそうであったようで
この作品の考察・ラストシーンの意味を考えネットでは様々な意見や考察が溢れておりました。
そんな情報の大河の中に、ワタシも1滴垂らしてみたいと思います。
※いきなりですが思いっきりネタバレのためまだ観ていない方は取り扱い注意です。
結果的に暴動を扇動しカリスマとして祭り上げられたと思ったら次のシーンで、静かな病室でカウンセリングを受けているアーサーの姿が。
そして真っ白な廊下を軽快なステップで歩き出すが、その足跡は血がべっとり…
この逆光の中、白と赤のコントラストが美しいシーンではあるのですがここです。おそらくカウンセラーはアーサーによって殺されてしまったのだろうと容易に想像つきます。
が、そこじゃない。
普通に考えればあの暴動の後、普通に逮捕され精神病棟に入れられたと思えば別に良いんです。そう考えられれば。
しかしカウンセリング中のアーサーは映画冒頭と同じく黒髪のまま。ただ言動は明らかに覚醒後の彼。
ん??
そうなんです。この作品、アーサーの妄想と現実との境が非常に曖昧。
例えば淡い恋心を抱いたソフィーとの関係がそれを上手に表現しています。我々は途中までこの物語を心優しい青年が貧困や不運によりだんだんおかしな方向に行ってしまう悲劇として鑑賞していますが、その一部が主人公アーサーの妄想である、ということが示唆されることによって非常に輪郭がぼやけてくるのです。
それがあるからこのラストシーンで深い悩みに落とされるのです。
そう、ここまで観てきた悲劇の物語がすべて彼の妄想である可能性が出てくるからです。
また、そこに輪をかけて我々に見せつけてくるトーマス・ウェイン夫妻殺害シーンの挿入。これまでずっとアーサーの視点で語られてきた物語において「思い出す」かのように描かれるこのシーンが大きな混乱を呼ぶのです。
ソフィーの部屋に入っていき、そこでこれまでのソフィーとの関係はすべて妄想であったことが明らかになります。
自分の母もまた大きな妄想の中で生きていて、(その妄想はアーサーにとっても希望の一つであったのですが)それも過去の入院履歴から妄想であることがしっかり表現されます。
例えば暴動のきっかけとなるトークショー出演シーンをソフィーやかつての同僚が観てる場面があれば、そこまでの物語は「確定」するのですが、それがないため、ひょっとしたらトークショー自体も、暴動もまた妄想?である可能性も。。
暴動の中、ただの暴徒の一人としてトーマス殺害をしたのかもしれないし
そもそもずっと檻の中にいたのかもしれないし
あの白い廊下から逃げ出しで映画は冒頭につながるのかもしれない
それともジョーカーという概念が伝播し、ラストでカウンセリングを受けている男はまったくの別人かもしれない。ここで本当に楽しそうに笑っているし。
そう、結局ワタシはアーサーの狂気の中で今日もぐるぐるこの悩みに取り憑かれるのでした。
きっとアーサーは狂気を狂気とも思っていないだろうに。
映画『ジョーカー』最大の魅力
物語自体の素晴らしさはもちろんなのですが、本作はビジュアル的な美しさが際立っています。
有名な階段でのダンスシーン
陰鬱な街並みや、閉塞感漂う室内、そして日々悶々としている姿は『タクシードライバー』を彷彿とさせます。(これは実際にかなり意識したという逸話があります)
そしてこの映画は無差別殺人が頻繁に発生するアメリカにおいてはかなりチャレンジな作品であったことは間違いありません。実際、公開時には警察、軍隊が警戒したなんてニュースもあったくらいです。
これまでのバットマンシリーズやマーブル含め、映画作品は基本的に「正義と悪」を最終的にははっきりさせることで物語をある意味安定させます。しかし、本作はそれがない。
普通の一般市民が、様々な社会的な外的要因によって悪のカリスマになってしまう、という事実が描かれており、いつ誰が狂気を爆発させてもおかしくないということを暴いています。
それこそが、この作品最大の価値であり魅力なのでしょう。