平成の狂気をもう一度読む。『ガダラの豚』から始まるあの時代の熱。

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平成の狂気をもう一度読む。

気がつけば令和も7年、平成の空気はすっかり遠くなりました。

それでも、あの時代にしか生まれなかった「異様な感じ」を、ワタシはどこかでいまだに探している気がします。

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平成の狂気をもう一度。あの時代の狂った感じが味わえる良作を紹介します。

あの頃読んだ本や観た映画、聴いていた音楽が、結局は今のワタシを作っていると言っても過言ではありません。

もちろん最近の技術を駆使した素晴らしい映像作品には圧倒されるし、面白い作品にもたくさん触れることができるけど

結局、昭和生まれのワタシが過ごした「平成」に味わったものが原点になっているのです。

どこか今よりも狂っていた、というか

あの時代だからこその狂い方というか。

その象徴のひとつが、中島らも氏の『ガダラの豚』です。

“呪い級の面白さ”という表現がぴったりのこの小説は、今読み返してもやっぱり凄い。

世界が混沌とし、常識の枠が揺らいでいた平成初期

その時代の空気そのものを閉じ込めた物語でもあります。

当時のエンタメには、共通した熱がありました。

社会が不安定で、未来がまだ「信じられるかもしれない」と思えていた時代。

人の心の奥底にある闇や欲望、そして救いを描く物語が次々と生まれていた。

そしてそれらは、読者の胸を焼くように通り過ぎていったのです。

 

 平成を象徴する“人間の狂気”たち

『ケモノの城』(誉田哲也)は、その後の平成が到達した「暴力と哀しみの極地」です。

この作品に流れるのは、平成の終盤に漂っていた“希望の消えたリアル”。

同時に、人間の根っこにある善悪の曖昧さを暴き出す強烈な視線でもある。

真犯人は?『ケモノの城』徹底解説はこちら

一方、新井英樹氏の『ザ・ワールド・イズ・マイン』は

まさに平成の黙示録。

暴力、愛、国家、そして神。

漫画という器を超えた圧倒的な熱量は、いま読み返すとむしろ“時代の記録”に近いものがあります。

読まずに死ねるか!『ザ・ワールド・イズ・マイン』レビューはこちら

そして、辻村深月の『ふちなしのかがみ』。

彼女が描くのは平成が終わりを迎えるころの「静かな恐怖」だ。

日常の隙間に潜む不穏さ、SNS以前の人間関係の不安定さ。

派手ではないが、心の奥でずっとざらつく恐怖を残します。

『ふちなしのかがみ』再考察はこちら

なぜ今、平成の物語に惹かれるのか

平成の作品群を読み返して感じるのは

「正解のない時代を生きる人間の姿」だ。

それはまさに今のワタシたちに重なります。

AIやSNSが進化しても、結局のところ人は迷い

誰かを信じようとして裏切られ、また立ち上がる。

平成の作家たちは、その“人間の未完成さ”を物語の中で真っ直ぐに描こうとしていたのではないでしょうか。

ワタシの中では

中島らも、誉田哲也、新井英樹、辻村深月。

この4人の名前を並べるだけで、平成という時代の温度が思い出せる。

混沌とした社会と、どこか青臭い理想。

その真ん中で、人間を描こうとした作家たちの筆の跡は、今読んでもまったく古びてはいません。

そして、Re:40へ

40代になった今、平成の作品を読み返すと、あの頃とは違う感情が湧いてきます。

かつて理解できなかった登場人物の選択に共感したり、若さゆえに見落としていた痛みをようやく感じたり。

時代とともに変わる“読み手の視点”こそ、再読の醍醐味だと思います。

“Re:40”というこの場所は、そんな再読のための小さな拠点でありたいと思います。

本を通して、時代をもう一度見つめ直す。

そして、そこに自分自身の記憶を重ねていく。

平成の物語を読み返すことは、あの時代のワタシたちにもう一度会いに行くことなのかもしれない。

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