桐野夏生の『グロテスク』に沈められて。<微妙にネタバレ注意>

2016-07-12

度を超えた「美しさ」が、怪物を生むのか?

過剰なる「美」と欠落した「美」が映す闇について。

 
 
 
「グロテスク」……グロテスク (grotesque) とは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式。
今日では、「グロテスク」という語は奇妙・奇怪・醜怪・不調和・不気味・奇抜なものを指す総称的な形容詞として使われるようになっている。Wikipediaより引用
 

まえおき

 
1997年、東京電力の社員だった当時39歳の女性が渋谷区円山町の古いアパートの一室で殺害され、現金4万円が奪われました。
慶応大学を卒業し、東京電力に初の女性総合職として入社したエリート社員が退勤し、夜な夜な身体を売っていたというショッキングな事実が明かされ、事件はますます大きく注目されることとなります。
 
容疑者として服役していたマイナリ元被告が証拠不十分のために15年振りに祖国に帰国したことでも話題となりました。
真犯人の存在は?被害者の不可解な行動?フィクションのような事件だったこともあり、題材にした作品、真相を追うルポなどがたくさん発表されました。
 
事件には不可思議な点が幾つにも散らばっていて、特に焦点となったのが被害者の抱えていた闇の部分でありました。
 
事件の真実は容疑者の空振りによって今後解明される可能性は低くなりましたし、何より一番知りたかった被害者の闇の部分も1997年に葬りさられてしまったままです。
 

創作の中の真実。

 
ワタシは実際この事件の真実が知りたい訳でもないですし、この作品を読み終えてから事件のことを知りました。
実際にあった悲惨な事件というのは創作意欲を刺激するでしょうし、プロの書き手が描けばそれは一つの「作品」と昇華します。読者にもイマジネーションを与えるものになります。
 
最近では事件の犯人が手記を発表し、大きな話題となっていますが、この件に関してはワタシも共感しかねます。何せ書き手はプロではなく、加害者なのですから。
 
今作、『グロテスク』は謎の多い事件を題材にはしていますが、あくまで題材に過ぎません。ここに描かれているのは矯正され、歪められた女性たちの壮絶な半生でした。
 

 
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『グロテスク』 桐野夏生 

 
正直に申し上げましょう。
個性だの、才能だの、そんなものは、凡庸な種族が何とか競争社会を生き延びるために備えて磨く武器でしかないのです。 第四章 愛なき世界より
 
ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたが、この作品を読み終えて、1つクッションを置いてから語り出したほうが良いなと思ったからです。
 

あらすじ

 
物語は語り手である女性が一人称でその半生を語っていきます。
ある事件が世間を賑わしている最中で、この語り手である「わたし」の妹、そして同級生が同じような手口で殺されていたこと。
そして被害者2人は売春婦だったこと
同級生だった売春婦は昼はエリート社員だったこと
謎の多い事件とセンセーショナルな事実に世間の好奇心は高まっていたのでした。
 
わたしは語り出します。
生まれた時から美しすぎる美貌を持つ妹のユリコについて。
その妹から逃れようと入学したQ高校での想像を絶する階級社会。そしてそこで出会った才色兼備でそつなく全てをこなす優等生ミツルと、階級社会に馴染めず、努力だけで自分を見失ないがちな佐藤和恵。
 
この強烈なヒエラルキーが彼女たちを狂わせたのか、それとも圧倒的な美貌が彼女たちの世界そのものを歪めていったのか?
 
語り手のもとに届く手記や手紙、日記が彼女たちの姿を浮かび上がらせていきます。
そしてユリコと和恵を殺害した容疑者の独白がそこに加わり、異様なこの物語は巨大なグロテスク模様となるのです。
 

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「美」がもたらすモノ、または奪うモノ。

 
主人公で語り手の「わたし」は常に妹・ユリコの圧倒的な美について言及しています。
同じハーフの姉妹なのに何故自分は美しくないのか?
幼い頃から美しすぎる妹とのギャップに苦しんできました。
「わたし」は美しすぎる妹に対して想い焦がれ、そして恐れ、美しさとはどこからやってくるのか?と遺伝子レベルにまで踏み込んで妄想を膨らませます。
 
女性にとって外見の美しさはとても重要な問題だと思います。こういうと語弊があるかもしれませんが、美貌はある意味では死活問題になり得るでしょう。
 
外見じゃない、中身が、人柄が良ければ素敵なんだという綺麗事は、きっとある程度自分の外見に自信のある人にしか共有されないアナウンスなのです。
 
そしてその共有される認識は飛び抜けた美貌が入ることで、一瞬で粉々に崩壊してしまうのです。
 
「わたし」がこの美貌に対するコンプレックスに囚われ、自らを見誤らせることになるのも納得できます。
 
同級生の和恵もまた、ユリコの美貌に憧れ自身の人生を狂わせていきます。
 
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怪物の誕生

 
この「わたし」によって語られていく物語は悪意に満ちていて、果たして何が真実なのか分からなくなってきます。
というのも、作中出てくる「ユリコの日記」や「和恵の手紙や日記」から「わたし」の色々な一面が明かされてきます。
 
そしてこの物語が「わたし」の悪意によって語られていることが判るからです。
 
常に丁寧な言葉で語っていますが、内容はもう「悪口」そのもの。
これではもう何が真実なのか判別することはできません。
 
妹・ユリコを怪物と忌み嫌い、同級生のミツルには怪物と畏怖する「わたし」こそが怪物なのではないかと。
 
「わたし」はクライマックスでまさに意図的に怪物への道を歩みだすことになるのですが…
 
ユリコは絶対的な美貌ゆえに生まれついての怪物と評されていますが、和恵は平凡な努力家として登場します。
厳格な父親によって男性社会との闘い方を植え付けられた結果、Q高校の女性社会から無惨に弾かれてしまいます。それでもユリコの美に憧れ、吸い寄せられ努力では決して超えられない壁の存在を知ることなくもがき続けてしまうのでした。
永遠に並ぶことのないと思われた2人。
 
しかし物語終盤、この対照的な2者は奇しくも同じ場所で再会します。同じ娼婦として。
 

末路

 
第七章 肉体地蔵でついに怪物へと変化せざるを得なかったモノの独白が沈黙を破ります。
 
そうです、今まで悪口という悪意によってでしか語られてこなかった和恵がついに自身の言葉で叫びだすのです。
ワタシ的にこの第七章はかなり心に迫るものがありました。
 
ここには愛に飢え、孤独を埋めるために怪物にならざるモノの叫びが凝縮されています。
こんなに寂しくも爽快な手記をワタシは知りません。
 
日記は几帳面に日付や売春で稼いだ金額や相手について、内容についてが記されていました。
 
日に日にバランスを失っていく様子も刻名に書かれており、怪物として変身した後の吹っ切れた思考回路は読んでいて爽快感すら覚えるほどです。
 
圧倒的なまでの美を目の前にして美しさとの距離を測り損ねた結果、拒食症になり
自分の価値を知るために売春婦となり
男たちに復讐する怪物
 
和恵という怪物を生み出したのは果たしてユリコの美貌だったのか?
「わたし」の悪意だったのか?
厳格な父親だったのか?
 
それともその全てが複雑なグロテスク模様として交じり合った時に生じる結果の全てだったのか?
 
同じ姿をして、交互にたちんぼをする醜いユリコと醜い和恵。
二人の怪物はやがて訪れる死を前に「美」の虚しさを理解し、男という存在を通過させることで世界を掌握する術を学び、同時に自身の存在価値の儚さを知ります。
 
怪物は最後に闇の中でこう叫ぶ
 
「助けて」
 
と。
 

感想。

 
久しぶりに読んだ小説が梅雨にぴったりのじめじめ感で、感想もなんだかじめじめとした感じになってしまいました。
じめじめしていてちょっと怖いもの見たさのあるこの作品。
最初に感じた名無しの語り手に対する不信感。これがどんどん増していくのに物語も比例して面白くなってくるから止められません。
 
以前『フジコシリーズ』を読み終えた時にも感じたのですが、この作品でもしっかりと感じたのが日頃生活しているとあまり気が付かない「女性社会」という存在の不思議さ、不気味さです。
 
結局今の社会の成り立ちから男性社会という影響はとても大きいものがあります。日頃仕事をしていればつくづく感じるものです。
しかし、その男性社会の影でひっそりと、しっかりと根づいているんですね、女性社会。
 
実情は華やかな一面もあるのでしょうが、この手の作品をよく読むワタシには陰湿で凶暴な世界にしか見えないのです。男に生まれて良かったな、と場違いな感想がつい口からこぼれてしまいました。
 

 
勝手にイメージソング。
今回からその作品を読んでいる時によく聴いた楽曲も一緒に紹介してみようかなと思いまして。
勝手に脳内再生です、あくまでも。
 

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 このアルバムだけで1つ感想を書けるほど素晴らしいアルバム。偶然iPodがシャッフル再生してから『グロテスク』の世界観とマッチしたと勝手に解釈し聴きまくってました。
 

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