映画『もののけ姫』を改めて考察してみた。

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先日の金曜ロードショーにて久しぶりに観たジブリ映画『もののけ姫』ですが、当時はまだ学生のワタシ、圧倒的な画力(ビジュアル)に衝撃をもらったのは良い思い出です。

あれから大人になって改めて観てみて

これはもう一度ちゃんと自分の中で消化しようと思ったので

考察めいた書き方でブログに綴ってみました。

『もののけ姫』徹底考察|人間と自然の対立が問いかける現代的テーマの先に何があるのだろうか。

なぜ今『もののけ姫』を考察するのか。

1997年に公開されたスタジオジブリの名作『もののけ姫』。当時のキャッチコピーは「生きろ。」でした。(同時期に劇場公開していたエヴァンゲリオンとの強烈なコントラストはまだ覚えています。)

中高生だった私たち40代世代は、この力強い言葉とともに映画を受け取りました。

『もののけ姫』は日本映画史に残る大ヒット作でありながら、決して単純な勧善懲悪の物語ではありません。人間と自然、文明と信仰、破壊と共存といったテーマが複雑に絡み合い、観る人に「考え続けること」を強いる作品です。

20年以上経った今あらためて大人の目線で観ると、環境問題や資源の奪い合い、社会的弱者の居場所といったテーマが現代に直結していることに驚かされます。

まさに“時代を超えて問いを投げかけ続ける映画”なのではないかと思うのです。

『もののけ姫』のあらすじをおさらい

物語は、東の小国に暮らす少年アシタカが、村を襲った「タタリ神」を村人を守るために仕方なく討ち取る場面から始まります。

勝利したものの彼は呪いを受け、その命は蝕まれていく運命に。呪いを解く方法を求めて西へ旅立ちます。

やがて彼が辿り着いたのは、人間と自然が激しくぶつかる地。

そこでは「山犬に育てられた少女サン(もののけ姫)」と、鉄を作り出し豊かな街を築こうとする「エボシ」が対立していました。森を守る神々と、人間の欲望を象徴するタタラ場の衝突。

呪いを背負いながらも、アシタカは「人と自然が共に生きる道はないのか」と模索します。しかしその道は決して簡単な調和ではなく、痛みと矛盾を受け入れる覚悟を必要とするものでした。

『もののけ姫』に描かれた人間と自然の対立

『もののけ姫』の根幹にあるのは、「人間と自然の対立」というテーマです。森を破壊して鉄を得ようとする人間たちと、森を守ろうとする神々や動物たち。

一見すると「自然=善」「人間=悪」という構図に見えます。

しかし宮崎駿監督は単純な対立を描くことを避けています。

人間にも生きるための必然があり、自然側にも容赦ない暴力性があります。

たとえばエボシは自然を切り崩す張本人ですが、同時にハンセン病患者や元遊女といった社会から見放された人々に居場所を与えています。

これはつまり、人間の「破壊」は同時に「救済」をも生み出しているとも言えます。

一方、森の神々も人間を襲い、タタリ神となって暴走する存在です。

自然もまた一方的に美しいものではなく、脅威でもあるわけです。

ここに「人間 vs 自然」という二項対立を超えた複雑さが生まれています。

アシタカの「呪い」が象徴するもの

アシタカの腕に刻まれた呪いは、この物語の象徴的なモチーフです。

彼は呪いによって超人的な力を得る一方で、制御できない暴力性に支配されていきます。

この呪いは「人間が自然を侵すことで背負う業」を象徴していると言えるでしょう。文明を発展させるほどに自然を破壊し、その報いを人間自身が受ける。現代で言えば環境破壊や気候変動のようなものです。

興味深いのは、アシタカがこの呪いを「治す」のではなく「見届ける」と覚悟する点です。

呪いを消し去るのではなく、それを抱えながら生きる。これはまさに人類が背負うべき現実的な姿勢の象徴ではないでしょうか。

サン(もののけ姫)という存在の揺らぎ

サンは人間でありながら「山犬に育てられた少女」。

人間社会から捨てられた彼女は、自然側に生きることを選びました。彼女は「人間でありながら人間を憎む」という矛盾を抱えています。

アシタカと出会い、心を通わせながらも、彼女は最後に「アシタカと共に生きる」ことを選びません。

サンは「森で生きる」、アシタカは「タタラ場で人々と共に生きる」。両者は愛し合いながらも同じ道を歩むことはできないのです。

この結末は「異なる立場が完全に融合することはない」という現実を突きつけています。

これは同時に「互いを認めながら共に存在する」という可能性を示しています。

エボシとタタラ場が示す“人間社会の希望”

エボシは物語における最も現実的な存在です。

彼女は森を切り崩し、神々を撃ち倒そうとする冷徹な指導者。

しかしその一方で、病者や孤児を受け入れ、社会的弱者に仕事を与える姿も描かれています。

彼女は「人間の破壊性」と「人間の希望」を同時に体現しているキャラクターです。だからこそ単なる悪役ではなく、多面的で理解可能な存在として観客に迫ってきます。

エボシがいるからこそ、『もののけ姫』は単なる自然賛歌では終わらず、「人間社会の中でどう共生を実現するのか」という課題を突きつけるのです。

『もののけ姫』が40代に問いかけるもの

10代で観たとき、『もののけ姫』は「自然と人間の戦い」という単純な印象でした。しかし40代になった今観ると、自分たちが破壊の側に立っていることに気づかされます。

私たちは日々の仕事や家庭の中で便利さや効率を求め、その裏側で環境を犠牲にしています。

エネルギー問題や地球温暖化、ソーラーパネルはまさに「呪い」の現代版です。

『もののけ姫』は「自然を守ろう」と単純に叫ぶ映画ではなく、「人間社会をどう変えていくか」を観客に突きつけています。

そして40代という立場は、次世代に未来を引き渡す責任世代。

だからこそ、この映画は私たちに最も重く響くのでは?!と感じたのです。

まとめ|『もののけ姫』を現代に読み解く

  • 『もののけ姫』は単なる自然賛美ではなく、「人と自然の共生」という深い問いを投げかける作品。
  • アシタカは「呪いを背負いながら生きる人間の象徴」、サンは「人間と自然の狭間の存在」、エボシは「人間社会の現実と希望」を体現しています。
  • 40代の私たちにとって、『もののけ姫』はファンタジーを超えて「持続可能な未来」を考えるためのヒントを与えてくれる。

いま改めて観ることで

新しい気づきと生き方の示唆を受け取れるはずです。

 


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