不登校だった娘とデートに。本当に欲しかったものは何だった?

ワタシの家族

忍耐ができる人は、欲しいものを手に入れることができる。

ベンジャミン・フランクリン(18世紀米国の政治家・科学者・著述家、アメリカ独立宣言起草者の1人)

そして37年間生きてきたワタシが物知り顔でこう続けるのです。

欲しいモノを決めていなければ

絶対にそれを手に入れることは出来ない。

でぃすけ

 

哲学の話をしようと思っている訳でもなければ、こんな名言を知ってるよっていう優越感に浸りたいわけでもありません。

これはどんなことにも言える真理であり、至極当然のことなのですが、そりゃそうです。

自分のゴールがわからない人は永遠にそこに辿り着けないように

ちゃんと、明確に目標を設定することがいつだって重要なのです。

目的意識、なんて言うとちょっと硬い感じがしますが

要するに

欲しいモノが決まらないうちに買い物にいっちゃ駄目だってことです。

例えば先日、ワタシは娘と服を買いに行きました。

テレワークが途中あったとはいえ繁忙期を経て随分とくたびれたスーツやシャツを、この季節の変わり目に合わせて新調しようと思ったのでした。

しかしスーツ屋さんをはしごするも、なかなか決まらず

結局二人でまったく関係ないモノを100均で買い物して終わってしまいました。

娘と久しぶりにたくさん会話も出来たし、よく歩いたこともあって

変な充実感がみなぎったのですが…

そう、目的は果たしてないんです

欲しかったスーツどころか、シャツの1枚も買ってない。

帰宅して妻さんからの冷静な一言を受け、ワタシは改めてこの真理を思い出したというわけです。

ということで欲しいモノは日頃からリストアップしておこうと固く決意したのでした。

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とはいえ、娘とのぶらぶら無計画なデートはとても感慨深いものでした。

かつて娘は学校に通えない時期がありました。

怪我していたわけでも病気になったわけでもなく、それこそドラマにあるような複雑に絡まった大人の事情でもなんでもなくて、原因不明の心の問題だったようです。

それも今思えばなんとなくそう思えるだけで、本人にとっては身体の中の不調だったのかもしれないし、複雑な事情を抱えていたのかもしれません。

とにかく朝から気分が悪いと言い出して…

家から出ることはできるのですが電車やバスといった乗り物にも一切乗れず、酷い車酔いもするようになってしまいました。

思えばあの頃は下の子がヨチヨチしだした頃で、引っ越しをして少し落ち着き出した頃。

環境が変わったことで不安が表面に出たんだと思います。

それまで家族・親戚一同から主役として可愛がられていた娘にとって、新たにやってきた下の子の存在は脅威だったのでしょう。もともと少し神経質過ぎる一面とまったく無頓着な一面が混在している節があって親から見てもちょっと心配になるくらいカオスな内面を持つ娘だったので、多分そういった環境の変化に対して処理が追いついてなかったんだと、勝手にワタシは受け止めています。

ちょうどその頃の記録は別の記事で詳しく書いてますので、もし興味がありましたら覗いてみてください。

常識を疑え。娘の不登校問題で見えた新しい世界。

娘不登校問題。ゆっくり歩いていこう。それはきっと乗り越えられる試練なんだから。

辛い時期が続きましたが、今ではすっかり元気になり毎日騒がしく過ごしております。

ただ、やっぱりまだ乗り物には弱いようで電車でどこか遠くへ行くことなんて何年もしていませんでした。

そんな娘と突然思いついたように電車に乗って遠出をしたのです。

ふらっと何も考えずに。

普段仕事で通る道を紹介したり、都内に出て高級ブランドのショーウィンドウを眺めてはブランドの説明をしたり、多分本人にとっては右から左へ聞き流すようなBGMの一種だったかもしれませんが、ワタシは娘の世界が少しずつ広がっていっているような、まさにそんな現場に立ち会えたことに嬉しく思えたのです。

神経質で偏食で大雑把な娘は決まったことは完璧にこなせるのですが、イレギュラーに対応することが苦手です。

こうやって外出したときも知っている物しか食べようとしません。

仕方なくラーメン屋をiPhoneで検索しオシャレな街並みを眺めながら向かうも休業。。

隣にあった古い蕎麦屋さんに入り、かけうどん。

娘はコーラ、ワタシはグラスビール。

料理が出てくるまでお通しをボリボリ食べながら学校の話や今ハマってる鬼滅の刃の話なんかしながら。

他愛もない会話をしている中で、少し歩けばワタシが結婚式を挙げた会場があることを思い出しました。

それを伝えると反応した娘。

その日は誰も挙式をしてはおらず、門の外からただぼけーっと眺めるだけでしたが。

変な感覚です。

11年前の自分は想像もしませんでした。

まさか娘が生まれ、その娘と一緒にこの場所に来るなんて。

そして、ふと気がつくのです。

もう主役は自分じゃないんだな、と。

果たして自分は娘に対して何かを遺せるのだろうか?そんなことを考えながら、散歩を再開。

心配だった電車の帰りは疲れたからか二人で爆睡。。

気がついたら最寄り駅近くまで来ていて、呆気なくぶらぶらデートは終了。

一体娘が何をどう感じたのかはわからないけど、普段休みの日でも家でyoutubeを見てばかりだったから健康的な時間の過ごし方は出来たのかな。

 

最近、妻さんの仕事が忙しくそれに輪をかけて姉弟ゲンカがすごいから妻さんは限界ギリギリな感じがします。

わかっているんだから何か負担を減らせてあげられるようなことが出来れば良いのですが

子供たちは結局妻さんにべったり。

だから家事を少しずつ手伝うことしか出来ていません。

今回みたいに上の娘だけを連れ出せば、妻さんの負担を減らせるのかもしれません。

欲しいモノがわからない人は、結局それを絶対に手に入れることは出来ない。

ワタシはきっと、かつて願っていた欲しいモノを手に入れたのでしょう。

そしてそれは思ってもみなかったモノをどんどん与えてくれます。

無計画に飛び出した娘とのデートは

本当に欲しかったものを改めて教えてくれました。

きっと今を過ごすのに必死でそういうことが見えなくなるんです。

疲弊し、限界ギリギリで過ごす毎日の日々の中では自分の人生の主役が既に自分ではないことすらわからないのです。疲れて、辛くて、なんだったら子供たちのことを鬱陶しいとすら思ってしまう自分がいる時もあります。

でも

今手に入れているものは

本当に欲しかったものなのです。

かつて自分が、本気で欲しかったものだからこそ

今があるのです。

もっと、大事にしなきゃいけませんね。

そんなことを、無口な娘の横顔を眺めながらそんなことを思いながら帰路についたのです。

 

そして家について

なんとなく集まってきた大して欲しくなかったガラクタたちを捨てるのでした。。

 

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