会社と一緒に死ぬ覚悟はありますか?ないならさっさと出ていこうと思って。
長かった。。
なんと言ってもこの結論を出すまでに3年以上かけましたからね…
ええ。
ワタシ、会社辞めます。
突然ですが質問です。
会社と一緒に死ぬ覚悟はありますか?
自分の人生を犠牲にして会社と一緒に死ぬ覚悟があるか?と言われたらみんな「いやいやないよ!」って言うかと思いますが、じゃあ実際その瀬戸際に立たされたときに判断できるか?と言われると迷うと思います。
特にワタシのような30代も入って子供もいて住宅ローンも抱えている身だと、つい守りたいものの姿を想像して我慢しちゃうと思います。
つまり、頭ではわかってはいても結局「会社と一緒に死ぬ」という道を曖昧なまま選んでしまっていることになるんだと思います。
突然ですが、もう一度言います。
ワタシ、会社辞めます。
新しい自分、新しい人生は自分で選ばない限り絶対に訪れないという真実
今年に入ってからずっと転職するか否か?で迷い続けてきて、でこないだやっぱりもう少しこのまま頑張るかな?なんて思ったんですが…
やっぱり自分の中でくすぶっていた火種は完全に消火しきれてなくて
それでつい先日突然目が覚めたんです。
このままじゃ結局ずっとこのまま。
ちょっとした不平と不満を抱きながらモヤモヤと働いていく。
そんな姿勢じゃ良い仕事は出来ないし、やりがいなんてとっくの昔に消え失せてしまっていて今さら湧いてこない。
とにかく自分が変わらないと駄目だ。
そう強く感じるようになりました。不思議ですよね?自分では転職を見送り、とりあえず頑張ろうかな?って思っていた矢先なのに。
ほんと思わず呟いちゃいましたよ。
人生は縁とタイミング。自分の意志の及ばない力に導かれている気がしてならない。
— disk+disk (@diskplusdisk) 2019年4月4日
閉ざされかけた新しい自分への扉。もう一度開ける勇気はあるか?
人は安定を求めます。
安定していれば平和を感じ、ストレスのない生活が送れます。
逆に不安定さは人を常に不安にさせ、緊張させ、生きた心地すらないままの姿勢を強いられます。
だからなるべく人は安定したほうが良いと思うのです。
例え崖の先だったとしても、そこが落ち着くと思ったら、人はそこから動かないんです。
しかし、周りの人には見えてます。
「崖の切っ先だよ?落ちたら終わりだよ?時間の問題だよ?」
そういう周囲のアドバイスもその安定さ欲しさのために聞き流し、自分に良い情報だけを吸収し、よりその場所にとどまろうとするのです。
「大丈夫、この崖はもう何年も嵐にも耐えてきたから。大丈夫、この崖は誰もやってこないから。大丈夫、この崖は…」
自分にとって聞こえの良い声に耳を傾け、より今の安定さを求めてしまうのです。
そしていざ崖が崩れかけて思うのです。
「ほら。やっぱりこの場所はただの崖の切っ先だったんだよ…」
冒頭の言葉を思い出してください。
「会社と一緒に死ぬ覚悟はありますか?」
崖が崩れたときにあなたは大切なものを守れますか??
その場の安定による平穏は失うかもしれない。移動した場所はもっと危険な場所かもしれない。そもそも次なる安定の地は見つからないかもしれない。…崖だって壊れないかもしれない。
安定さを捨てよう、新しい道を歩き出そうとすると、必ずこういったことを考えてしまうと思います。
ワタシもそうでした。
だから転職も一度は辞めたし、このままいけるところまでいこうと考えてました。
でもこういった状況でワタシにアドバイスをくれた人たちがいたという事実。これはかけがえのないものなのかもしれません。こういう不思議な縁というか…ワタシは恵まれているなと認識したときに、先を見据えて行動しなければならないのだと決心したのです。
決心してからはまあ大変でしたがそれはまた今度話しますね。続く、ということで。
でぃすけのつぶやき
決断する
或いは決心する
この状態に持っていくまでにワタシは長い時間がかかるし、持ち前の優柔不断さが災いしてテンポが遅れてしまうことが多々あります。
しかしその都度誰かに助けてもらえたり、導かれたりしてなんとか乗り切ってきました。
一人で生きてきたわけじゃないですからね。
そして守りたい大切なものもたくさん増えました。
そういった本当に大事にしなければいけない者たちのためには、今の安定さだけで一人満足していてはいけないんです。そのことに気がついて、ワタシはやっと新しい一歩を踏み出しました。
最初はすごい不安で夜も眠れなくなりましたが、、多分大丈夫。
遅かれ早かれこうなるのだから、早いほうが良い。
年齢的には限りなくギリギリラインですが、転職活動再開です。
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