新しい働き方、新しい幸せの形、新しい父親像、新しい家族の形。
家族揃って朝食
これからの時代
ささやかなそんな幸せが大切になっていくんじゃないでしょうか。
かつてワタシが子どもの頃なんかは父親というのは早々と出勤しており、ワタシは母と妹と朝食を済ませ学校へ。
そして父親は夜もなかなか帰ってこないもんだからたまに早く帰ってくるとちょっと嫌な感じすらしました。
男は仕事一筋で外へ出てバリバリ働き、女性は家事と育児をする。
そして頑張って働いて家を建て、車を買い、子どもを良い大学へ良い会社へと進むことが何よりの幸せだと信じられた時代がありました。
これからは今までの当たり前が通じなくなる時代がやってくるかもしれませんよ。
常識を疑え!新しい幸せの形を探して。
きっとワタシが子どもの頃くらいがゆとり教育が始まる前で、親とかも「こうするべきだ」という妄信的な一方向の流れが強かったように思います。
たくさん勉強して良い学校に行け
良い学校を出て良い会社に就職しろって。
それが何年後かにもっと個性を、とか言い出して順位とか競わなくなってきて…というゆとり教育が始まりました。
結局ゆとり教育以前も以降も、言い方を変えただけで与えられたロールモデルになぞっていく生き方を歩ませられていたんですよね。
だから自分でほんとにやりたいことや好きなことと出会えた人は良いものの、そうでない場合は信じ込まされてきた幸せの形を追い求め彷徨うことになってしまいます。
でも、ワタシくらいの年齢だとギリギリ良かったなと思うのが、そういう親とか風習とか教育とかが厳しさを持って教えてくれていたことです。
当時は情報も少なかったですから。
ある意味で、【こうあるべき】という幸せのロールモデルだけを知っていれば案外それで満足できる人はたくさんいたと思います。
しかし今の情報過多社会の中では幸せの形がそれこそ千差万別。ありとあらゆる幸せの形がこれでもかと溢れかえってる。
そんなこと知らなければ欲しくならないのに。
これはグローバリズムの暗い面とも似通っています。
テレビコマーシャルだけに限らず今はネットで好きな時に好きなことを、欲しい情報を集めることができます。
これからはもっと情報は身近になってくると思います。
適切に自分の力でそれらをコントロールできれば良いのですが、子どもたちは大変ですよね。
チャンスが広がっている、世界が広がる。
これからの時代はそういう素晴らしい時代だと言えます。
今まで当たり前だからと信じ込まされてきた家族の在り方、教育、生活スタイル
そういった諸々がガラリと変わる時が来ているのです。
というかワタシが知らないだけで既にそういう時代なのかもしれません。
だから35年ローンで家を買うなんてのも、ひょっとしたらワタシたちが最後の世代となるのかも…
新しい当たり前に備えて。
毎朝家族でおはようと言い合えて、食事を共にし、夕食も一緒に食べる。
今の社会ではそういう当たり前のことが難しい流れが強いです。むしろ残業時間の問題などがやたらと取り沙汰され、相変わらず父親不在のまま家庭は過ぎ去っていきます。
しかもかつてのように父親だけの稼ぎでどうにかなるのならまだしも、今の若い世代にはお金がまわってこない…
切なすぎますよね。そりゃ子どもも作れませんよ。 どんどん格差は広がっていきますよ。
頑張って子どもが生まれても、今度は教育にかけるお金がない‥
かつての当然はもう、当然のことのようにできない時代なのです。
これは長年信じ込まされてきた幻想と現実とのギャップがもうどうしたって埋まらないことを物語っています。
だから、ワタシは新しい当たり前、新しい幸せの形を探します。
多少稼ぎが少なくても毎日家族と一緒に過ごせる、ちゃんと父親が存在するというささやかな幸せを。