消えたアイドルt.A.T.uが奏でた暴走の旋律。彼女たちの楽曲はもっと評価されて良いと思う。
ある日突然日本の音楽シーン、いや世界中を席巻し音楽革命を起こしかけた少女たちがいた。
美しい彼女たちが雨の中ずぶ濡れで絡み合うという同性愛を匂わせるようなビジュアルはとにかく強烈な印象を残し、当時の社会に衝撃を与えました。
楽曲だけでなく、彼女たちは自身のキャラクター像によってシーンに一石を投じることになったのです。
分かりやすいデジタルビートとハイトーンボイス
切ないキャッチーなメロディがしつこいくらいリフレインする。
ここ日本でもMTVやラジオで流れない日はないほどヘビーローテションで鳴りまくり
これでもかとガンガン我々に迫ったきたもんです。
ついにこの小さな島国・日本も制圧か?と思われた束の間
調子に乗りすぎた彼女たちは話題だけを振りまいて肝心の音楽をちゃんと届けることなく終わった。
そうt.A.T.uのことである。
その後の顛末はもうあまりに悲惨。
日本公演では客席はガラガラ
苦肉の策に「ゴメンナサイ」なんて曲まで歌わされる始末。革命は既に終わっていたのだ。
一体彼女たちは何を伝えたかったのか?
強烈なビジュアルが先行し、どうしても彼女たちの作品まで正当に評価されずにきた感があります。
今日はワタシがそんな彼女たちの【作品】について語りたいと思います。
消えたアイドルt.A.T.uの楽曲について語る。日本を、そして世界を制覇し損ねたロシアの耽溺的戦略
正直な感想を先に言うと
ワタシは当時からこのビジュアルや彼女たちのキャラクターよりも先に楽曲が好きだったんです。
なんだか今さら言うと言い訳がましいし、当時もまたなんかおおっぴらに言えないような雰囲気がありました。
1stアルバム『t.A.T.u』はとにかく当時ものすごい売れ方でした。
その頃バンドをやっていたワタシはパフォーマンスの結果として売れてるだけで、音楽的には…なんて思っていたんです。バンド仲間たちも話題性だけでとりあえずチェックした程度で、過剰なメディア戦略に踊らされることなく周囲は早々に冷めていたんです。
しかしそんな世の中の流れとは裏腹にワタシは楽曲を好きになっていたのです。
ノリノリな重低音デジタルビートと歌謡曲にも通ずる切ないコード進行。
暴走気味のシンセに負けないレナ・カティーナとジュリア・ヴォルコヴァのハイトーンでハスキーな歌声。
なんだかこの秘めた恋心みたいなものと相まって彼女たちの作品は今(2020年)でもワタシのプレイリストに残っています。
ちゃんと感想を綴ろうって思ったのは最近です。
改めて聴いても、やっぱり好きだったので。
※リェーナ・セルゲーエヴナ・カーティナとユーリヤ・オレーゴヴナ・ヴォルコヴァと表記することもあったり日本のメディアはより分かりやすくレナとジュリアとする場合もあります。本記事でもレナとジュリアで統一したいと思います。ちなみに「t.A.T.u」は二人組みのガールズデュオだと思われてますが、プロデュース陣を含めた一つのプロジェクト名です。
t.A.T.u誕生。名プロデューサーの巧妙な仕掛け。
なぜ彼女たちは音楽シーンから消えることになったのか?
狙いすぎた戦略、あざと過ぎた話題性が仇となったのか?
ロシアから巻き起こった音楽革命はなぜ半ばにして突如消え失せたのか。
その理由を探るためには彼女たちが生まれた背景を軽く知っておく必要があります。
ビートルズにはブライアン・エプスタインがいたしローリングストーンズにはアンドリュー・ルーグ・オールダムの敏腕プロデュースがあった。
ロックだってポップだって、結局はどうビジネスとして成立させるか?が重要でした。
ビッグネームたちは皆、素晴らしい曲を書いたから今も支持されているのではなく、売れたから今も音楽シーンに君臨しているのです。(ちょっと強引な解釈ですが…)
何度でも言います。彗星の如く現れたエルビスだって、トム・パーカーという優秀なマネージャーの存在がありました。もっと言いましょう、モーツァルトたちクラシックの猛者たちだって貴族たちパトロンがいたからこそ作曲活動に専念すること出来たのです。
作品そのものよりもどう売るか?その戦略がその後のアーティストの運命を左右するのです。
t.A.T.uはどうだったのか?
もちろんおりました。しかも相当やり手の。
イワン・シャポヴァロフという人物。
レズビアンの要素を全面に押し出し、性の解放を象徴させたキャラクター造形。(当時は本当にカップルだと思われていた)愛の矛先が同性ではあるがこそ漂うイノセンスな部分と背徳感が若者たちを熱狂させます。
少女同士が織りなすラブストーリー、性を超えた純愛とも取れる物語をより過激にビジュアル化させ、t.A.T.uは大ヒットしました。
政治的なメッセージを挑発的に発信したりして当時のヨーロッパ、アメリカは軒並み放送を規制したり、批評を重ねたがそうした世間(大人たち)の非難はかえって若者たちへの称賛となります。
そう、シャポヴァロフは見事t.A.T.uという商品を大ヒットさせることに成功したのでした。
もっと評価されても良い。t.A.T.uの作品について語りたい。
さて、いよいよ本題です。
今日はここがメイン。この部分を語りたくてこれを書き出したわけですから。だけど彼女たちには常にあるバイアスがかかっていたのも事実です。だから前半ではその偏見の正体を説明しました。
ここからいよいよワタシの個人的嗜好がたっぷり詰まった作品レビューを綴ります。
彼女たちは合計で3枚のアルバムを発表しています。
過激なイメージと話題性で爆発した1stアルバム『t.A.T.u』(2003年)
調子に乗りすぎたか?イメージだけで爆発力は維持できず制作陣内でも色々あったため一時活動を休止
その後発表した『Dangerous and Moving』(2005年)
もはや存在すら知られていない『Happy Smiles』(2008年)を発表し2011年に彼女たちは解散をします。(正直ワタシも知らなかった…)
実は日本での大ヒットが起こる前から彼女たちは世界中ですごいことになっていました。2001年『200・ポ・フストレーチノィ(200 ПО ВСТРЕЧНОЙ / (時速200キロで逆走)』が東欧を始めヨーロッパで人気になり英語版を製作しました。
このロシア語バージョンが良いんです。
今聴くと荒削りな部分やアレンジに強引さは感じるもののよりエモーショナルなボーカルが癖になります。
ワタシの持論ですがやっぱり歌と言語の関係は重要で、母国語で歌うからこそぐっと響くものが生まれるもんです。(最近のダンスグループやアイドルが英語で歌ってますが、音は良くなっても全然響かない。天城越えとか聴いた日にはぐっと来るでしょう?)
Я сошла с ума(All the Things She Said)
彼女たちの代表曲となるAll the Things She Said。
これも我々がよく知っているバージョンは英語版に録り直されたものです。英語バージョンのほうが音数がもっとシンプルになっているけれどバランスはよく取れていて、要するにより分かりやすい音になっていると思います。
良くも悪くも彼女たちの代表曲である今作は基本的な構造は至ってシンプル。
Aメロ→サビの繰り返し。そしてどのパートも同じメロディをこれでもかと繰り返すのですがこれは今作に限らずt.A.T.uの作品は大半がこの構成。
良く言えばビートルズ以降キャッチーなロック/ポップの常套手段ですね、他の楽曲もすべて3分ちょっとのサイズで癖になるメロディをまるで洗脳させるがごとく浴びせ続けてきます。
Мальчик-гей(Malchik Gay)
個人的にはレナとジュリアの良さが出てる楽曲だと思っているこの曲。そもそも彼女たちはありがちなハモリをあまりしない。もっともコブクロの如くハモれば良いってもんでもないですが。
各々同じメロディをぶつけ合うようなボーカルラインが多いのですが本作では繊細な歌い出しを聴かせてくれます。
この人たちの歌唱力、実はすごいんじゃないか?と楽曲に対する興味を抱くことになった作品。
こちらも英語バージョンのアレンジのほうがポップ。
またこのアルバムにはスミスのカバー『How Soon Is Now』が収録されています。これが意外と良いんです。是非。
я твоя не первая(Show me Love)
t.A.T.uというプロジェクトの構想にも一役買った同名映画作品があるようで、この曲もまたらしさが全開です。
切ないコードにのせたシンセのフレーズ
社会に対する強烈なメッセージを演じたキャラクターたちとは裏腹に、楽曲は非常にポップでよく考えられているように思えます。煽動するにはこれくらい単調じゃなきゃ駄目で、決して作品を深く理解させる必要なんてないのだと。
All About Us
大ヒットした前作から少し時間をおいて発表された『Dangerous and Moving』に収録された本作。
1stアルバムよりアレンジはしっかりされていて、力技のような前作の強引さは少し消えていて音の数も増えています。
これまではどちらかというとセクシャリティな問題を提起していたけれど本作はもっと政治的なメッセージが強くなりました。
同性愛を全面に押し出した戦略が見透かされ音楽性で勝負せざるを得ない状況であったという見方もあります。
それでも彼女たちの歌唱力、表現力は健在でした。
でぃすけのつぶやき
今でいうところの【炎上商法】。
仕掛け人イワンのドタキャン戦略。しかし礼儀を重んじるこの小さな島国では通じなかった…
あのMステドタキャン事件を機に彼女たちは勢いを失います。※あの事件は同時に大好きなバンド・ミッシェルガンエレファントが輝いた瞬間でもあったのですが。。
もともとあのやり方では続かなかったのかもしれませんが、なんとも惜しい失敗だったと思います。あれだけ時代を騒がせて、かき乱したアイドルはなかなかいませんでしたからね。
ただ可愛いだけじゃないし、破天荒なだけじゃない。
時代に対するアンチテーゼだけでもないし、ただの炎上商法だけじゃなかった。
反社会的な要素に惹かれるという心理はかつてロックに憧れた若者たちのそれと変わらない。
そこにあの美しさとインモラルさは反則級。当然のように世界は溺れかけたのでしょう。
しかし、忘れてはいけません。
彼女たちにはしっかりとした表現力と歌唱力があったのです。
先に紹介した楽曲たちをもう一度聴いてみてください。
繊細だけど力強い歌声。
時にハスキー、時にウィスパーなハイトーンボイスが歌い上げる切ない楽曲を。
ラフマニノフ、チャイコフスキー
ロシアから届くどこか暗く、甘いメロディは不思議と刺さるものです。
革命が未遂に終わったあとに響く切ないメロディに想いを馳せて。
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