実写化された『ゴースト・イン・ザ・シェル』は攻殻機動隊と思って観てはいけません
あのマトリックスのウォシャウスキー兄弟監督がこの作品の影響を公言し、一部のマニア、オタク層の絶大なる支持を得た作品『攻殻機動隊』。そしてこの作品を見事に昇華させた押井守。
日本よりもむしろ海外での評価が高い彼の才能、作品たちをハリウッドが放っておくはずがなく、『攻殻』というコンテンツを実写化するという冒険もまた当然の流れだったのかもしれません。
さぁ日本が誇るレアな才能・押井守の手を離れた『攻殻機動隊』はハリウッドの手でどう料理されどう消化されたのか?
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ハリウッドの手にかかればこんなにもエンターテイメントに変化を遂げる!『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観ました〈ネタバレ注意〉
日本人の感性っていうのはどうしても消せなくそこにはあって、ちょっと土臭くてジメジメしてて暗くて静かで…(ワタシの偏見かもですが…)決して悪い意味ではなくて。それはただ根付いているという意味で。
そしてその感性が育んできた延長上に、日本独特の【ジャパニーズホラー】や【アニメ、漫画】があるような気がしています。
だからこの手の作品が一度海外に行ってリメイクされて帰ってくるともうそれはまったく違う物となり、ワタシたちとの間には埋められない溝が深く刻まれてしまっているのは良くある話。
これはもうどうしようもないことで、やはり「感性」の違いとしか説明できないかと。
そんな日本独自の感性の最も暗くじめっとした場所にいたであろう押井守さん。
彼はワタシの中で勝手に「日本のカートコバーン」と呼んでいます。
彼もまたある日突然海外からの熱烈な支持を集めてしまい本来なら明るく華やかなステージに上がるべきではなかったのに祭り上げられ、その後無数のフォロワーとコアなファン、にわかファンたちによって貪り尽くされてしまいます。
まさにMTVによって一夜にしてスターダムにのし上がることを宿命づけられたニルヴァーナのように。
さて、そんなオタクグランジ帝王の手を離れた『攻殻機動隊』はどんなことになっているのでしょうか??
あらすじ
近未来。少佐(スカーレット・ヨハンソン)は、かつて凄惨(せいさん)な事故に遭い、脳以外は全て義体となって、死のふちからよみがえった。その存在は際立っており、サイバーテロ阻止に欠かせない最強の戦士となる。少佐が指揮するエリート捜査組織公安9課は、サイバーテロ集団に果敢に立ち向かう。
『攻殻機動隊』とは士郎正宗原作の当時にしてはかなりぶっ飛んだSFサイバーパンクアクション漫画。あの緻密すぎる線が好きで中学生の頃からワタシは大好きでした。
その原作を当時既に一部熱狂的なファンによって絶大なる支持を得ていた押井守が監督したのがアニメ『攻殻機動隊 ゴースト・イン・ザ・シェル』です。
この作品は見事にあの世界観を表現したことは勿論のこと、「魂とは?」「生きることとは?」と言った普通に考えても到底答えが出ないようなテーマを投げかけエンターテイメントとは程遠い仕上がりを見せたのにもかかわらず、その評価は海外へと飛び火。
先にも触れましたが多くの才能たち、作品に影響を与えることになりました。
そう、だから【実写化】は避けられない流れだったのかもしれません。
ハリウッドが作った『ゴースト・イン・ザ・シェル』
しかしこれだけ固定ファンが根付いたコンテンツをリメイクする、実写化するというのは相当な覚悟がいるものです。まして冒頭でも言いましたが「感性」の違いはそのまま異なったフィルターを通してしまうことを意味します。
だから内容そのものではなく、ハリウッドらしい実写化、すなわちどれだけ強烈な絵を見せることができるか?がこの作品の唯一残された勝負所だったはずです。
実際本作は公開前にスカーレットヨハンソンをキャスティングするというニュースが人種差別だと結構な騒動になり、最初から不安定なスタートを切ることを余儀なくされていたのだから。
攻殻機動隊ファンのワタシから観て。
まず最初に思ったのはなかなか良い感じだと思いました。
冒頭の芸者ロボの人間離れした(当然か?)アクション。光字迷彩やそして終盤での多脚戦車との戦闘シーンなどは観てて思わずニヤリとしちゃいました。
近未来の街も小道具も(マテバとかね)良かったし、下手したらかなりB級感出ちゃうであろうバトーの造形もなかなか良かったです。
原作ファンに気を使いすぎてるんじゃないか?と思うほどに『ゴースト・イン・ザ・シェル』してたように思えます。
ただ
ただ
ただ。。
逆にそこまでファンに気を使うならばもう少し完成度を高めて欲しかったのが【少佐】のヴィジュアルです。
人種差別問題以前にスカーレットヨハンソンの起用は正しかったのか?
攻殻機動隊と言えばやはり少佐こと草薙素子のインパクトが印象的です。
クールで達観してて、全身義体の身体を酷使し過激なアクションもなんのその。(原作コミックだとより過激)
だから実写化にあたってもこの少佐のキャラクターはとても重要なものです。
しかし、実際にはスカーレットヨハンソンの起用そのものが話題先行となり、キャラクター造形に対してはシビアに語られることなく終わってしまったように感じます。
だからワタシは今回の少佐をちゃんと評価してみたいと思います。
白人が演じようがアジア人が演じようが、そもそも今回の少佐は攻殻機動隊ファンが想っているキャラクターとはちょっと違ったのだから。
そもそも
今回の少佐はワタシたち攻殻機動隊ファンが知っている少佐ではありませんでした。
最初から難民でテロを憎んでるっていう記憶を設定されてます。
草薙素子って名前もなんかどさくさに紛れて判明し、そこまでファンに気を使う必要ないんじゃないか?と若干シラケさせてしまうことに。。
あの人智を超えて達観した雰囲気はどこにもなく、簡単に言えば
自分探し
に明け暮れます。
なんと言えば良いのか、適切な言葉がうまく見つからないのですが要するにこの攻殻機動隊はシリーズ作品の中でもこれ以上ないくらい分かりやすく、エンターテイメントしている作品ということでしょう。
押井守が散々出口のない答え探しに明け暮れ、観客とともにまどろんでいる世界観は皆無です。
物語はこれ以上ないくらいテキパキと進行し、観客は少佐の言葉悪く言えば青臭く自分探しに没頭するだけの物語をやたらサイバーな近未来を舞台に追体験するのです。
この分かりやすさ。
明快さ。
ここまで咀嚼し、きれいにパッケージングするハリウッドの力強さには感心します。
どうせならもう一つだけ言いたいのですが、、
やっぱりヴィジュアル的になしですよね??
スカーレットヨハンソン。
でぃすけのつぶやき
原作ありきの実写化ってホント難しいものです。
それでもそこに手を出してしまわなければならないほど、今のエンタメシーンは縮小されてしまっているのでしょうか。
これは何もハリウッドに限った話ではありません。
邦画だって最近はみんな何らかの実写化、リメイク作品であることが多いです。
そしてその大半が【原作ファン】という存在によって撃ち落とされていく運命を辿ります。
今回は特に相手が悪かったですね。
やはり押井守というカリスマを信奉するファンの前ではこの作品は『攻殻機動隊』でもなんでもないものでした。
ただスカーレットヨハンソンが自分探しをする。
というこうも単純に解釈されてしまっていると、やはりこれは別物として捉えるしかないんじゃないかなと。
原作への敬意なのか、ただ意識しすぎただけなのか?
ちょいちょいなんかくすぐったい感じがしましたが、特にビートたけしの登場シーンだけやたらシリアスな空気感だすのがちょっと笑ってしまいます。。
だからこれは攻殻機動隊として観るべきではないのかな。攻殻として見なければ映像的にはそこそこ良く出来ていると思います。
しかし・・
うーん、、惜しいな。
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