新しい新選組小説の形。木内昇の『新撰組 幕末の青嵐』を読んだ感想
幕末の世を駆け抜けた新撰組。
殺戮と暗殺、人斬り集団と畏怖された集団。
しかしその主たるメンバーは純粋で無邪気な男たちだった?…
生き生きとした文体が新撰組の青春を紡ぎ出す。
木内昇の『新撰組 幕末の青嵐』を読んで
新撰組関連の小説もこれで何作品目でしょうか。
とにかく有名な子母沢寛氏の作品を始め、司馬遼太郎氏に池波正太郎氏、浅田次郎氏などなど大御所が新撰組の話を作品化しているので、どうしても新しい作風に仕上げることが難しい道ではあります。
まして新撰組を題材にした時点で、史実を基に作らざるを得ないため、そこに個性を出すのはかなり難しい作業になると思います。
今作、木内昇氏は恥ずかしながら初めて知りました。
しかし読み始めてみるとどうでしょう
この生き生きとした文体。
緻密で繊細な内面描写
これは今までにない新撰組小説なのかもしれません
あらすじ
あらすじと言っても新撰組の歴史は歴史としてしっかりと刻めれているため、その流れは変わらない。
今作も多摩の田舎道場でくすぶっていた若者たちが時代に呑まれ、京に上り新撰組を結成します。
そこでの活躍、そして時代の流れにそって破滅するまでを描いています。
例えば『バラガキ』では破滅するまでは描いていません。
主役である土方歳三のはちゃめちゃぶりを描くことに重きを置いた今作は、これはこれで非常に痛快な作品として仕上がっていました。
しかし、大抵の新撰組小説はその破滅のカタルシスを描ききります。
これはおそらく『燃えよ剣』という名作の影響が少なくないと思いますが、史実を振りると、この破滅の悲劇は人の心に刺さるものがあります。
書き手ならここは絶対に描きたいポイントだと思います。
今作品『新撰組 幕末の青嵐』でも勿論破滅に向かってどんどん物語は悲哀に満ちてきます。
しかしこの作品が他の新撰組小説とは少し違うようにワタシは思えました。
新しい新選組小説。過去の名作たちとの差異
・主役の不在、多彩なアングル
まず驚くのがこの作品細かく章が分かれているのですが、毎回主役となる人物が変わります。
その数42回。
主たるメンバーは結成に深く関わったお馴染みの人物たちなのですが、これが毎回各章で変わります。
新撰組と言えば有名な事件やポイントがいくつかありますが、それが主役を通して語られることはなく、その都度語り手が変わり、その語り手の時にその事件が起きたかのように思えます。
これをやろうとすると大抵グチャグチャとしてきて、非常に読みにくい小説となることが多いのですが、今作は歴史上の人物たちという利点もあってか混乱もなく、スムーズに作品に没頭出来ました。
・繊細な内面描写
新撰組小説というと、血なまぐさい決闘とか、暗殺とかがどうしても前に出てきがちです。
しかし今作品では毎回変わる語り手たちの心情がとても緻密に描かれています。
思えば新撰組の隊員たちは10代から30代、激動の時代背景もあり、彼らの中には絶えず悩みや葛藤があるはずです。
そこを見事に描いています。読んでいてとても新鮮でした。
特に結成前の試衛館時代からの盟友である藤堂の死付近は涙が出ます。
・新しい解釈
この、豊富な内面描写により、今までの新撰組小説では定説となっていた人物たちに対して新しい解釈が与えられたことは非常に新鮮でした。
例えば近藤に対する評価が隊の中で微妙だったり、それまでただの狂人でしかなかった芹沢の繊細な一面だったり…
人によって印象が違うのは当たり前です。
その当たり前をちゃんと描いています。
意外にこの手は刺激的でした。
でぃすけのつぶやき
信じていた価値観がある日突然ひっくり返る。
そんな大貧民みたいなことが現実に起きた幕末。
そこで命をかけ、信ずるものの為に闘った若者たち。
新撰組を語ることは、そのまま幕末という時代を語ることのように思えます。
新しいもの、未知なるものが押し寄せてくる恐怖
信じていたものが根本から揺らぐ焦り
そんな中でも自分たちの明日を信じ、守るべきものの為に
生きる道を選んだ人
そして滅んだ人‥
彼ら新撰組を語ることは、とうしても悲哀に満ちたものになりがちです。
結局彼らは信じていたものの為に闘い、恩を返す為に闘い抜いたのです。
勝っても負けても命がないと知りながら…
史実だけから見えてくる彼らの悲哀とは別に、この作品からは生き生きとした彼らの姿が浮かんできます。
ムシャクシャしたり、悩んだり、楽しんだり
そこには彼らの「生きた」姿が生々しく描かれています。
決して彼らは盲目的に悲劇に突っ込んでいったワケではなく、それぞれ想うことがあり、殺伐としながらも立派に楽しんでいたのでは?
そんなことを思わせてくれる作品です。
今までの解釈に新しい光が差し込み、個々の新撰組隊士たちの生き生きとした姿が見えてきて、とても新鮮な気持ちです。