『ゴジラ-1.0』と『シン・ゴジラ』決定的な違いと共通するテーマ
第96回アカデミー賞で日本映画として初めて視覚効果賞を受賞した
『ゴジラ-1.0』
観たい観たいと思っていたのになかなか時間が作れず
この受賞騒ぎで決心し、ようやく時間を捻出し劇場へ足を運ぶこととなりました。
だって「視覚効果賞ですよ?」
デカいスクリーンで観たいじゃないですか。
ということで、映画館で鑑賞した『ゴジラ-1.0』
果たして、その実力は本物か?
映画『ゴジラ-1.0』冷静に眺めてみた【ネタバレ注意】
映画としての出来栄えは本物か?なんていきなり大きく議題を掲げましたが、そもそもこの突然の受賞騒ぎが良くない。
ワタシもそうなのですが、こんだけ騒ぎになればもともと興味があろうとなかろうと観たくなるじゃないですか。そして期待値が上がればポジティブな先入観もまた培われるわけです。
だから敢えて「冷静に」ってサブタイトルをつけてみたのです。
全米歴代邦画実写作品の興行収入1位を記録するなど大ヒットを記録。第96回アカデミー賞では日本映画として初めて視覚効果賞を受賞するという快挙を達成した。第47回日本アカデミー賞でも最優秀作品賞ほか同年度最多8部門の最優秀賞を受賞した。
予告編はこちら
映像体験としては素晴らしい『ゴジラ-1.0』
すごい。
確かに前評判のとおり、素晴らしい映像体験ができる映画です。
監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0』(2013年)で知られるヒットメイカー、山崎貴。主人公の敷島浩一役には神木隆之介、大石典子役に浜辺美波。そのほか、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介などの豪華キャストが集結
冒頭のちょいコンパクトなゴジラの登場シーンから始まり、海で追いかけられるシーンなんかは従来のゴジラシリーズの中でも抜群の存在感を与えることに成功しています。
「恐怖の象徴」として非常にインパクトを残せたことが、この作品の評価にも繋がったのでは?と思います。
これを大きなスクリーンで観れたことは
やっぱり良かったなーって。
山崎貴監督のVFXは以前から好きで、思えば『ALWAYS三丁目の夕日』で見かけたフルCGゴジラからずっとこの日を待っていたのかもしれません。
他にも山崎貴VFXの特徴である「ゼロ戦」や「海の描写」は相変わらず素晴らしいクオリティです。冒頭ゼロ戦の飛行シーンだけでもワタシ的には大満足でした。
ドラマとしての『ゴジラ-1.0』、作品としての『ゴジラ-1.0』はどうだったのか?
では、この映画を観終えたあとに、最初に思った感想はどうかというと…
ちょっと長く感じた。
ということでした。
決して否定しているわけではなくて
むしろ設定から展開まで、とても良くできていると感じる作品でした。
戦後間もないという時代設定も、違和感なくすんなり入れたし
そのあとの展開もしっかりと没入できたことは事実です。
しかし、何故か長く感じてしまったのです。。
ちなみにワタシが小さい頃から鑑賞してきた往年のゴジラシリーズの尺は
- ゴジラ対ビオランテ 105分
- ゴジラ対キングギドラ 102分
- ちなみに初代ゴジラ(1954年)は97分
とファミリー映画の位置づけということもあってかちょっと短いのですが、ワタシが好きな『シン・ゴジラ』は120分あったのです。こちらはそこまで「長さ」を意識しなかった。。
過去記事はこちらから↓
つまり、この両作品の違いには何かがあるのでは?と仮説しました。
『シン・ゴジラ』と『ゴジラ-1.0』共通するテーマと決定的な違い
庵野秀明氏が描いたゴジラは間違いなく震災のメタファーであり、東日本大震災時の政府の対応などもオマージュされていました。
そこには我々の日常なんて、ある日突然やってくる災害によっていとも簡単に壊されてしまうことを端的に映していました。
津波によって飲み込まれていく日常をゴジラという存在を使って再現していました。また、そのゴジラが通った後の放射能汚染なども当時の記憶が蘇った人もいたのではないでしょうか。
この得体の知れない恐怖が人々を混乱の渦に放り込み、どうやって立ち向かうか?という基本プロットは同じかと思います。
幼体から巨大化して上陸し、首都で熱線を吐く
この流れも同じです。
正体不明の恐怖を対処すること=向き合うことから目をそらすというか、うまく対峙できずに機会を逃し、恐怖は大きく成長し後の甚大な被害に繋がってしまうというのも同じ。
そして残された者たちが知恵と力を合わせ、巨大な恐怖・困難に立ち向かう。
・・なのに、今回は少し長く感じてしまった。
これは単純に主人公をしっかり設定したことによるものだと思います。
今回の敷島は特攻隊員として出撃したものの、ゼロ戦のマシントラブルを訴え帰還する。しかし実際は機体に問題はなく嘘をついていることを整備士に見抜かれる。そんな後ろめたさがある中でゴジラの襲撃に合う。
ここでも仲間を救うことができず、心に深い傷を負って帰国する。
そして戦後の混乱の中で典子という女性と奇妙な共同生活を送りながら、ゆっくりと立ち直っていくわけだが、そこにゴジラが迫る。。
本作に限らずこの山崎貴氏の作品は「饒舌」すぎる傾向があります。
心理描写は観客のほうで受け取るくらいがしっくりくるし、日本映画は本来この手の表現が得意なジャンルなはずです。(観客の感受性、が重要なんでしょうね)
本作でも、登場人物たちがまーよく喋る。
しかもその語り方がお芝居している感じが強い。敷島がトラウマを乗り越える様、典子との不思議な恋愛描写、随所に語られる「台詞にしなくても良い台詞」の多さが長く感じた理由では?
この点、庵野氏の『シン・ゴジラ』はスマートだった。
内閣官房副長官役の長谷川博己、内閣総理大臣補佐官役の竹野内豊、アメリカの大統領特使役の石原さとみといった主要キャラは設定するものの、そこに「感情」を軸とした台詞は極力排除されていました。(ただ、こちらは圧倒的な量の情報を勢いよく浴びせ続けてきますが)
根底にある鎮魂としてのメタファー
最後にワタシが映画館で観て本当に心を揺さぶられた瞬間について語ります。
今回のゴジラは「戦争」「核」「戦後」というファクターを強く感じさせる作品でした。特に市街地で熱線を吐き、立ち上がるキノコ雲と黒い雨はまさに原爆そのもの。
原子力爆弾を実際に落とされた我が国日本だからこそ、堂々とできる表現であり、語り続けなければならないことで、それを人気コンテンツを使って再現したことにワタシは感動しました。
また、過剰に饒舌すぎるとは書いたものの
生き残ってしまった者が生き残るべきだった人たちへ抱く想い、というものが戦後の日本を支えたんだろうな、って思うとすごい感慨深いものがあります。
ベタな展開ですけど、敷島が「もう一度、生きて良いですか」と思うに至る瞬間に思わずホロッとくるわけです。
予告編で『オッペンハイマー』が流れましたが、本作がアメリカで視覚効果だけでなく、その意味まで感じてくれたら良いんですけどね。
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