長渕剛の名曲「Captain of the Ship」から解き明かす曲が長くなる理由

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皆さんは長い曲というと何を思い浮かべますか?

突然そんなこと言われても‥そもそも長い曲のことについて考えたこともないって人が大半でしょう。ワタシだってそんな日がな一日中長い曲について考えているわけではありませんし、今回だってそんな何か特別な想いがあったわけではないのですが‥きっかけとなる曲を久しぶりに聴いて、そもそも音楽の、曲の長さってなんだろうかと思いましたので。

今日は【曲の長さ】について考えてみました。

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名曲、迷曲?長くなる曲『Captain of the Ship』

1997年、トム・ヨークが6分23秒にも及ぶ大作「パラノイド・アンドロイド」を世の中に放ち、世界のロックはどんどんと複雑に様々な音を飲み込んで急速に内省的になっていきます。そしてレディオヘッドというバンドがその3年後に『KID A』を鳴らすことで決定的に何かが変わってしまいました。

しかし、そんなロック史の一大事件の4年前に「パラノイド・アンドロイド」の2倍近い長さを持った楽曲が誕生していたのです。

そう、ここ日本で。

それが

Captain of the Ship(キャプテン・オブ・ザ・シップ)

これは、日本のミュージシャンである長渕剛の14枚目のオリジナルアルバム、およびアルバムの9曲目に収録されている楽曲である。

1993年11月1日に東芝EMI/エキスプレスよりリリースされた。

13分09秒にも及ぶ大作。スタジオでセッションのような形で録音され、実際には20分近くも演奏は続いたという。また、桜島ライブでは最後の曲として演奏され、実に30分近くに渡り演奏された。ライブバージョンになると件の桜島ライブのように30分近く演奏されるため、普段のツアーにおいて演奏されることはほぼない。 Wikipediaより

これ皆さんご存知ですか?あの長渕剛の名曲?です。

とにかく不思議な曲です。

今回のブログを書こうと思ったきっかけの曲なのですが

とりあえず聴いてみて欲しいですね。ワタシはだいたい通勤時の徒歩区間をだいたい3曲〜4曲聴いていくんですけど、キャプテン・オブ・ザ・シップなら1曲で十分お釣りがきます。

終盤は「ヨ~ソロ〜」だけなのでお釣りの部分がすごいカオティックなものになりますが‥(※引用部分でも強調しましたがライブ版では30分近くも「ヨ~ソロ〜」するようです。)

そもそもなんでこんなにも長い曲が生まれるのか??

長い曲が生まれる時・長くなる必要性

世の中には普段暮らしているとまったく気づかないことがたくさんあります。と言いますか、これだけいつでもどこでも知りたいことをその場で検索し、調べることが出来るようになったこの時代においても自分の興味のあることしか知ることはできません。

人間は、知りたいことしか知れないんです。

そんな哲学っぽく言わなくてもだいたい伝わるかと思います。

今日は普段知ることはないであろう、【長い曲】のお話。

長い、と言ってもそれはタイトル(曲名)の長さではありません。タイトルくらいならすぐ思いつきますよね

愛のままで~とかなんなら鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

とかね。

今回は名前じゃなくてサイズ。

曲の長さがテーマです。

世界最長記録を持つ曲『639年』

これは演奏時間がタイトル通り639年かかるという桁違いのスケール。(ショートバージョンもあるようですがそれでも80分…)

さすがにこういう前衛的なとこはフェアじゃない気もするのでもっと我々に身近なものだとあのXの名曲『ART OF LIFE』なんかも30分近くありますよね。

そもそも長い曲ってどうして長くなるのか?

ここが謎ですよね?

今回の題材でもある『Captain of the Ship』だって、後半は(いや‥ずっとかな??)ずっと同じことの繰り返し、なんとなく演奏者が気持ちいいから、というだけのような気がするのですが‥

一応ワタシも作曲をしたり音を作ったりする趣味を持っているのでなんとなく理解できるんです。

そうです。

気持ち良い瞬間があるから音楽は止められない。

これなんですよ、だいたいの長い曲の正体は。

おそらく『ART OF LIFE』だって中盤のピアノソロが長くなっている要因であり、あれはどう聴いてもYOSHIKIのナルシズムが炸裂するパートでありますし、前衛芸術のような演奏時間が桁外れに長いものもまた奇をてらった作曲家の自己陶酔なる一面もあると思います。

その点、めちゃくちゃ気持ち良さそうに「ヨ~ソロ〜」を連呼する長渕剛は愚直なまでに正直ですよね。これがワタシをここまで書かせたきっかけとなるに十分なものでした。

この熱量、エネルギー

バックの演奏隊は半ばしらけているのでは?

本人もどこまで歌ったのか分からなくなってきているのでは?

とかいらん心配をしてしまうほど、この曲には何かがあります。

長くなる必要性なんてない、ただ気持ちいいから繰り返す。

これが長い曲の正体なのかもしれません。

でぃすけのつぶやき

一説ではビートルズが後のポップソングの長さに大きな影響を与えたとも言われています。これは単純に聴く人を飽きさせない長さということなのですが、コアなファンがいるバンドやアーティストにはその逆をやることができるということですね。

つまり長渕剛もレディオヘッドもXも。

みんなファンが濃そうですもんね。

かくいうワタシもこの3者は大好きです。

この濃いファン層ならば飽きてしまうのではないか?という心配も要らないからとことんやれるんじゃないかな?と思うわけです。レディオヘッドの曲に関しては音楽的な必然性を感じないわけではないですが‥

アーティストとファンとが一体となる、っていう図式そのものがミニマル・ミュージックと通ずる部分があると思っていて、そのちょっと閉じていく感じが曲の長さなんて超越させてしまうんじゃなかろうか?と思うのです。

いやーそれにしてもやっぱり「Captain of the Ship」はすごいなー